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プレス技術 連載「世界のなかの日本、日本のなかの世界」

2025.07.29

第4回 留学生に教えられた「人とのつながりの大切さ」

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帝京大学 平田 好

ひらた よしみ:日本語教育センター センター長。早稲田大学卒業後、1995 年からベトナムを皮切りに世界各国で日本語教育に携わる。2021 年に帝京大学共通教育センター教授に就任し、2022 年から現職。修士(国際関係学。2000 年早稲田大学)。

思い切って知らない人に話しかけてみれば

 先日、都内のカフェで軽食とコーヒーを一人でいただいていたとき、隣の席の年輩女性二人のおしゃべりが聞こえてきました。同年代の仲良しという雰囲気です。盗み聞きしていたわけではないのですが、紛争地域に医療援助をしている団体や、難民支援をしているNPO について話題にしているようでした。

 「ほら、あの方よ、国連にいた。名前がでてこないのだけど」「ああ、わかる。お顔は浮かぶけれど。でも名前が…」「何年か前に亡くなった、あの女性…」「もう困ったわ。人の名前がでてこないのよね」「私も…」と。

 思わず私が横から「緒方貞子さんのことではないでしょうか」と声に出してしまうと、「そうそう、緒方さん!教えてくれてありがとう。すっきりしたわ。思い出せなかったら、もやもやし続けるところだった」と、お礼の言葉をいただきました。私は「お話に割り込んでしまい申し訳ありません。人の名前がでてこないことは私もよくあります」と伝えて、以降は〈聞き耳は立てていません〉という態度を強調するようにテーブルの上のコーヒーとスマホに集中したのでした。お二人はしばらくして店を出ようとした私に再びお礼の言葉をかけてくださり、余計な口出しをしてしまったかなと心配していた私はほっと胸をなでおろしました。そして笑顔の彼女たちに見送られながら、暖かい気持ちでカフェを後にしました。

「おひとりさま文化」の浸透

 東京にいると、見ず知らずの人に声をかけるのは気が引けてしまいます。つい「おせっかいかしら」と躊躇してしまいがちになるからです。「おひとりさま文化」が浸透し、回転寿司やファストフードの店に入れば無言のまま横並びで一人ずつ食事をするのが昨今の「日常」です。

 さらに新型コロナウイルス感染症によるパンデミックがこれに拍車を掛けます。電車やバスのなかでのおしゃべりが消え、レストランでも黙食する人々が増え、果ては透明のアクリル板の向こうにいる相手とおしゃべりする事態となりました。

 この光景を奇異に感じ、人と人とのつながり、絆を作っていく「日常」に思いを馳せる留学生が少なくないことを大学のイベントで実感しました。

日本にも取り入れたい故郷の習慣

 昨年末、勤務する大学で開催された「第3 回留学生日本語プレゼンテーションコンテスト」のテーマは〈日本にも取り入れたい○○○のモノ〉でした。○○○は、留学生プレゼンターが生まれ育った(または住んでいた)国や地域です。また物理的なモノだけではなく、考え方や習慣なども含み、○○○と日本との比較文化的な視点から前向きな提案を期待するテーマとしました。

 留学生の大半は、日本、そして日本が関わる文化が大好きだからこそ来日しています。出身国や住んでいた地域に取り入れたいと思う「日本のコト・モノ・ヒト」はいろいろあるようですが、あえて〈日本にも取り入れたい○○○のモノ〉としました。近年、テレビをはじめとするメディアでは「にっぽんはスゴイ」という内容の番組が増えている印象があります。日本経済の凋落の反動として、日本の良い面だけを強調して日本人消費者に安心感を与える流れにも感じます。しかし、教育現場では、そのような風潮に流されたくはありません。また、留学生の多様な文化的背景を知ることによって観衆にとっても学びが深くなるテーマになるだろうと考えたわけです。

 最終選考であるコンテストには、中国、韓国、ベトナム、インドネシアからの留学生10 名が出場しました。そのなかに、人と人とのつながりの大切さやコミュニティ文化を紹介した留学生が複数いました。

 一人は、ベトナムの朝食屋台について発表した学生です。バインミー(ベトナム料理の一種。柔らかなフランスパンに切り込みを入れてパテを塗り、野菜やハーブや肉を挟んで魚醤をふりかけたもの)を売っている屋台で、見ず知らずの人同士がおしゃべりをして楽しい時間を過ごしてから、仕事に向かう様子を紹介しました。日本でも、地域の人々が集まり気軽におしゃべりをしながら朝食をとる場があれば、豊かなコミュニケーションのもとに新たな人間関係が作られて地域が活性化するのではないか、という提案です。

 次に中国の公園におけるコミュニティ活動に関する発表もありました。私は北京に駐在していたときのことを思い出しながらプレゼンテーションを聞きました。中国では、特にリーダーがいるわけではないのに毎朝、何となく人々が集まってきて太極拳をしている様子を各地で見かけます。日曜の公園では、楽器を持参して合奏しているグループがいて、それを聞いている人が演奏者に称賛の声をかけていると、その輪がどんどん大きくなります。大きな筆に水をつけてアスファルト地面に漢詩を書いている老人もよく見ました。その達筆さに私が見とれていると、隣で見ていた方がその漢詩について説明してくれることもありました。

 いずれの発表も、知らない者同士が場を同じくすることで新たな人間関係が育まれ、生活に潤いをもたらすので日本も見習ったほうがよいのではないかという提案でした。

 ほかにも、出身地の家庭料理を自宅でふるまって日本人学生と交流を深めた経験や、ハラルフードを日本で広めるための活動を紹介するなど、人とのつながりの大切さに重点をおく発表が続き、満員の会場から盛大な喝采を浴びていました。

人とのつながりから生まれる豊かさ

 「おひとりさま文化」も悪くはありません。気兼ねなく一人でも食事ができて、お酒も飲める環境があることは素晴らしいことです。しかし、自分だけの世界に閉じこもることなく、周りの人々とコミュニケーションをとることによって人と人とのつながりが網目のように広がり、地域社会も日本社会ももっと活性化するだろうという留学生からの提案に深い感銘を受けました。

 緒方貞子さんのご逝去から5 年余り経ちました。紛争下の混乱した状況であっても常に冷静に人道的支援をされてきた緒方さんの功績に多くの人が尊敬の念を抱いています。街のカフェで緒方さんのお名前をお聞きしたというご縁から、見ず知らずの方と心を交わせたことは幸せなことです。また別の機会に、知らない人に声をかけたり、おしゃべりする楽しさを味わいたいものです。思いもかけないつながりが生まれ、新たなネットワークやコミュニティが形成されるかもしれません。そして地域社会や日本社会の豊かさにつながっていくことを願わずにはいられません。

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