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プレス技術 連載「世界のなかの日本、日本のなかの世界」

2025.06.19

第2回 ことばの役割

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帝京大学 平田 好

ひらた よしみ:日本語教育センター センター長。早稲田大学卒業後、1995 年からベトナムを皮切りに世界各国で日本語教育に携わる。2021 年に帝京大学共通教育センター
教授に就任し、2022 年から現職。修士(国際関係学。2000 年早稲田大学)。

30 年間で200 万人増えた在留外国人

 2023 年末、日本に在留する外国人は、341 万992 人(前年末比33 万5,779 人、10.9% 増)で過去最高を更新しました。国籍・地域別でみると、中国(82 万1,838 人)に次いで多いのがベトナムです。日本国内に56 万5,026 人(前年末比7 万5,714人増)のベトナム国籍の方がいることになります。

 私が日本語教育に携わり始めた30 年前と比較すると、在留外国人は200 万人以上も増えました。1994 年当時、ベトナム国籍の在留外国人数はわずか8,229 人。ベトナム語を学ぶための教材や学校も限られていて、ベトナム料理店は東京でも数えられるほどの数しかありませんでした。多くの日本人は「バイン・ミー」はおろか「フォー」も知らなかったはずです。今では、キッチンカーで「バイン・ミー」が売られ、インスタント「フォー」がスーパーの棚に並んでいます。この間、日本とベトナムの距離はとても縮まった感がします。

 ところで、外国人が日本に在留できる資格(ビザ)はさまざまですが、ベトナム出身者のなかで最も多い資格が「技能実習」(20 万3,184 人)、次いで「特定技能」(11 万648 人)、「技術・人文知識・国際業務」(9 万3,391 人)となります。これらの資格で来日した人は、日本で何らかの職業に就いています。「留学」(4 万3,175 人)資格者の多くもアルバイト(28 時間以内/ 週)をしているとみれば、職場でベトナム語(と日本語)を話す人と一緒に働くことは珍しくなくなっているのではないでしょうか(数値は出入国在留管理庁の公表資料による)。

外国語習得の難しさ

 さて、連載第1 回(2024 年12 月号掲載)では、ベトナムで暮らしてもベトナム語があまり上達しなかったことを白状しました。日本で長く働いていても日本語があまり上達しない外国人も多くいます。たどたどしい日本語を話す外国人を目にして「日本語は難しい言語だ」と思われるかも知れませんが、そもそも大人が「外国語を習得することは難しい」ことなのです。生まれ育った環境のなかで自然習得した第一言語(母語ともいいます。多くの日本人にとっては日本語)や、小・中学校で学ぶために使用した学習言語(多くの日本人にとっては日本語)に加えて、新たな言語で話し、聞き、書き、読むためには多くの努力と時間が必要です。

 もちろん多言語環境のなかで複数言語を自然習得に近いかたちで身に付ける方もいます。しかし、日本では、日本語が使えれば困らないのですから、あえて外国語の習得に精力や時間をかけようと思わない方も多くいます。さらに最近では、生成AI の発達によって翻訳や通訳が容易にできるようになってきました。論文や新聞記事、そして小説さえも一瞬のうちに翻訳できますし、AI 通訳も登場してきました。

 では、外国語を学習することは不要になるのでしょうか。私はそう思いません。学習方法は変わっていくかもしれませんが、義務教育では少なくとも一つ以上の外国語学習の経験をしておくことが必須だと考えています。それは、他国語を使うことがその子の世界を広げることにつながるからです。なので、外国語はあまり上達しなくてもよいとも思っています(もちろん留学など、特定の目標があればそれに応じた語学力が必要です)。要は「外国語の世界」のおもしろさを知ること、「日本語の世界」と比べたときの違いや同じところに気づくことが大切なのです。

 そもそも、言語の役割は情報伝達だけではありません。もしそれだけが目的であれば翻訳ソフトやAI 通訳に任せればよいのです。しかし、言語にはもう一つ重要な役割があります。それは人間関係を構築するための道具という役割。私たちは、他人とつながるために言葉を使っているのです。

世間話はAI に任せられない

 一つ昔話をしましょう。私がベトナム中部の都市フエで暮らし始めたばかりの頃、外出するたびに「どちらへお出かけですか」と近所のベトナム人から(もちろんベトナム語で)尋ねられました。当初は「私がどこに出かけようが、あなたには関係ないことではないか、この町にはプライバシーはないのか」などと憤慨していました。しかし、そのうちに、これは単なる「挨拶」であることに気づきました。日本にも昭和の中頃までは同様の挨拶があったようです。相手がどこに行くのかに特段の関心はありません。「ちょっと、そこまで行ってきます」と返せばよいだけなのです。こうして挨拶を交わしているうちに、顔見知りとなって、世間話をするようになるものです。

 しかし、この世間話というのが難しいのです。論文や講義、またメディアの記事やニュースであれば一定の構造があり、論理的な内容となっていますが、世間話はさまざまな背景のもとに時間も空間も超越しながら進んでいきます。「○○語は勉強中で、日常会話程度しかできません」と言う方もいますが、いやいや、「日常会話=世間話」ができるというのは相当な上級者と言えます。AI には任せられないレベルだからです。

 翻訳ソフトやAI 通訳で情報伝達は可能であっても、人間関係の構築をAI に任せることはできません。外国語で世間話を続けられるレベルになることは難しくても、まずは挨拶を交わし、たわいもないやりとりをすること、そして(できれば)一緒に食事をすることで、異なった文化や言語を知り、自分の世界と相手の世界が重なり、理解が深まっていくという経験ができるはずです。

英語一辺倒への疑問

 現在、日本の義務教育で外国語科目として教えられている言語は、圧倒的に英語です。英語を第一言語として使っている人は、中国語やスペイン語を第一言語とする人よりも少ないのですが、第二言語として英語を使っている人は、世界で11億人程度いると見られています。確かに世界共通語としての英語の有用性は高いかもしれません。

 しかし、前述したように外国語を学ぶ目的は、その言語の運用力を伸ばすことだけではありません。多様な価値観を知り、自分の外の世界からの視点でものごとを見つめ直し、柔軟に考える力をつけることです。そう考えると、現在の英語一辺倒の教育に疑問を抱かざるを得ません。

 AI は英語の処理が得意だと言われているようですので、いっそのこと英語はAI に任せて、日本ではベトナム語や中国語といった身近な言葉を学んでもよいのではないでしょうか。

 日本にはすでに不自由なく日本語を操る在留外国人がいる一方、まだ日本語で話すことを躊躇っている方、日本語を間違えるので恥ずかしいと思っている方も増えています。まずは、あなたの側にいる外国人のお国の言葉に興味をもって、その言葉で挨拶を交わしてみるところから始めてみてはいかがでしょうか。

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