プレス技術 連載「世界のなかの日本、日本のなかの世界」
2025.07.10
第3回 「国籍」よりも「出身」「背景」
帝京大学 平田 好
ひらた よしみ:日本語教育センター センター長。早稲田大学卒業後、1995 年からベトナムを皮切りに世界各国で日本語教育に携わる。2021 年に帝京大学共通教育センター教授に就任し、2022 年から現職。修士(国際関係学。2000 年早稲田大学)。
留学生の出身国
大学で留学生対象の日本語教育の仕事をしていると言うと、よく尋ねられます。「留学生は、どちらの国の方が多いのですか? やはり中国人ですか」と。
読者の皆様は、どう思いますか。「インバウンドは中国が圧倒的だから当然、中国」「いや、日本語と韓国語は文法が似ているから韓国かしら」「でも最近はベトナム人が増えていると聞くな」「ベトナムだけでなく東南アジアから多くの学生が来ているかも」「しかしヨーロッパやアメリカでもオタクイベントが結構多いのでアニメファンが…」などと思いを巡らせるのではないでしょうか。
私が所属する大学キャンパスには約15,000 名の学生が在籍していて、そのうちの約1,000 名が留学生です。そして、そのほとんどが4 年間の本科課程で学ぶ私費留学生です。ということは、経済的に余裕がある家庭から来ている学生が大半ということになります。当然、GDP 世界第2 位、かつ14 億超の人口をかかえる中国が圧倒的な存在感をもっています。日本国内の私立大学の多くが中国からの留学生を受け入れていて、近年、その数も増える傾向にあるようです。
私が所属する大学の留学生を国籍別にみれば、中国が最も多く約800 名、ベトナムが120 名強、韓国が80 名弱、そしてマレーシア、モンゴル、インドネシア、タイ、香港と続きます。アジアだけでなくヨーロッパ、アフリカ、北米、中米、南米、30 を超える国・地域から留学生が来ています(2024 年10 月現在)。
しかし、ここで一つの疑問が湧きます。「国籍」と「○○人」を同一視してよいのでしょうか。
地域・地方によって異なる文化・背景がある
どこの大学の事務局も留学生には定期的に在留カード情報を提出させています。ですから、留学生の在留資格や在留期間、そして国籍を把握しています。法務省の出入国在留管理庁による外国人管理の一環になります。
しかし、教育現場で留学生1 人ひとりと向き合っている教員にとっては、「国籍」よりも「出身」や「背景」が大切な情報ではないかと考えています。中国という国ひとつとってもたいへん広く、四川省の面積は日本の1.3 倍もあります。広東省の人口は1 億人を超えています。中国国籍だから中国人と十把一絡げにはできないと考えます。
例えば、中国遼寧省出身といっても漢族なのか朝鮮族なのか。上海市出身と聞いたが、家庭では上海語を話しているのか。マレーシア国籍の華僑のようであるが、中国語は話せるのだろうか。学生の出身地や文化的背景、家族とのつながり、言語的背景は重要な情報です。
決してプライバシーを侵害するつもりはありませんが、教室の中でもコミュニケーションは現実のものです。学生と教員という関係だけでなく、人と人との関係を大切にし、お互いに知り合っていくことによってこそ、学生の学びを助けられると考えています。学生の「国籍」よりも、「出身」や「背景」情報をコミュニケーションのきっかけとして、豊かな関係を築いていきたいものです。
国家と国旗と「○○人」
大学では、毎年12 月に、選抜された留学生10名がプレゼンテーションを競う「留学生日本語プレゼンテーションコンテスト」を開催しています。恒例となったコンテストには、学内のみならず外部からも多くの方が来場して、昨年も大成功に終わりました。
しかし、終わったあとの教員ミーティングで話題になったことがありました。実は、コンテストのプログラムで、出場した留学生各自の名前と写真とともに「国籍」と「国旗」を載せていたのです。それに対して違和を覚えた(はっきり言えば不服だった)出場者の声が教員に届いていたのです。その学生は、自分自身を○○人と認識しているにも関わらず、「国籍」とその国籍に応じた「国旗」とともに紹介されました。
例えば、自分自身は香港人と認識しているのに、中国人として五星紅旗とともに紹介されたら、どうでしょうか。また、バルセロナ出身でカタルーニャ人であることをアイデンティティーとしている人がスペイン国旗とともにスペイン人として紹介されたら、プライドが傷つけられたように思うのではないでしょうか。
ユニオンジャックはイギリス(グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国)の国旗で、イングランド、北アイルランド、スコットランドの国旗を合わせて作られているそうです。しかしスコットランド人として誇りを持つ者であれば、スコットランドの旗こそが自分の国旗と思って当然でしょう。
「日本人だったら、もちろん日の丸でしょう」と考える方もいらっしゃるかもしれません。しかし、現在、日本の一部となっている沖縄はかつて琉球王国という国家でした。それからアイヌ語を母語として話す人は現在ほとんどいないようですが、今もアイヌとしてのルーツと向き合って生きている方もいます。
日本国籍だから日本人、中国国籍だから中国人として一括りにすることは危険に感じます。「国家」としての中国と日本の関係をみれば、日中友好の時代は遠い昔となり、対立と相互不信が基調になっている状態が続いています。だからといって、日本で生まれて育った私と中国国籍の方との関係性が悪くなるものでもありません。そして、中国国籍をもっているからといっても「中国人」とも限りません。
「国家」という仕組みがある以上、「国籍」も「国旗」もついてくるでしょう。しかし、個人は個人であり、それぞれが○○人として誇りをもって生きていかれる社会になるように願っています。そして言語は幸いなことに、ひとつの母語に限らずいくつでも好きなだけ選ぶことができるのです。