プレス技術 連載「世界のなかの日本、日本のなかの世界」
2025.10.02
第7回 羽ばたけ!日本語教師の卵
帝京大学 平田 好
ひらた よしみ:外国語学部長 兼 日本語教育センター長。早稲田大学卒業後、1995 年からベトナムを皮切りに世界各国で日本語教育に携わる。2021 年より帝京大学教授。2022 年より日本語教育センター長、2025 年より現職。修士(国際関係学、2000 年早稲田大学)。
先月、インドネシアでの8 カ月の活動を終えて日本に帰ってきた卒業生が報告にきました。留学生ではありません。在学時に日本語教員養成課程を履修していた日本人(元)学生です。2024 年3月に大学を卒業した社会人1 年生です。
彼女の目は、在学時よりも、卒業直後よりも、格段に輝いていました。インドネシアでの仕事を終えた達成感とともに、海外での活動を通して大きな自信を得た様子がうかがえました。日本列島を離れて、文化も習慣も言葉も異なる環境の中で「サバイバル」した経験が、血となり肉となったのでしょう。このプログラムへの応募・参加を勧めた筆者は、とてもうれしい気持ちになりました。教育に携わる者として、教え子の成長を目の当たりにすることほど、やりがいを感じることはありません。
アジアの中学・高校で日本語学習を支援
彼女が参加したプログラムは「日本語パートナーズ」といいます。外務省所管の独立行政法人である国際交流基金が、アジアの中学・高校に日本人を派遣するプログラムです。現地の中学・高校で、日本語教師や日本語学習者のパートナーとして、授業のサポートをしたり、日本文化の紹介を通じて交流をしたりすることが仕事です。応募要件として、日本語教育経験は問われません。ですから、日本語教員養成課程を修了したばかりの卒業生でも応募できたわけです。
ちなみに日本語パートナーズでは、さまざまな背景の方を各国に派遣しています。年齢条件は満20 歳から満69 歳まで。大学在学中に参加する若者もいれば、仕事を休職して参加する方、会社員として定年退職してから参加する方など多様な方々が活動しています。派遣国をみても、インドネシア、フィリピン、マレーシア、ブルネイ、東ティモール、中国、台湾、タイ、カンボジア、ベトナム、ラオス、そしてインドと多岐にわたり、2024 年度の派遣人数は325 名となっています。
インドネシアでは日本語教師が不足
インドネシアは日本語教育がたいへん盛んな国です。日本語学習者数は、中国に次いで世界第2位。中国が105 万人強、インドネシアが71 万人強になります。総人口から考えるとインドネシアにおける日本語学習者の人数がとても多いことは確かです。
そして、日本語教育機関数は、中国とインドネシアはほぼ同数ですが、日本語教師数は大きく異なります。インドネシアの日本語教師数6600 人余という数字は、中国の約3 分の1 にすぎません。さらに言えば、インドネシアの中学・高校で日本語を学んでいる生徒は60 万人余。中国の約2 倍にあたります(数値は2021 年度国際交流基金調 査による)。
つまり、日本語を学んでいる中学生や高校生がたくさんいるのに、現地の日本語教師がとても少なく、日本語授業をサポートする日本語母語話者(日本語パートナーズ)を受け入れたい中学校や高校が多数あるという状況です。
歴史的にインドネシアと日本は経済的に強い結びつきがあることから、以前は実利志向のもとに日本語を学ぶ者が多かったようですが、近年は、アニメやJ-POP などのポップカルチャーへの憧れから日本語学習を始める若者も多いようです。そのようなインドネシアの高校生たちにとって、日本語パートナーズとして日本語授業をサポートする日本人の「お姉さん」は、「歩くポップカルチャー」だったのではないでしょうか。
現地の日本語教師はもちろんのこと校長をはじめとする学校全体から大歓迎されて、多くの生徒たちに囲まれた写真を彼女から見せてもらいました。皆が輝くばかりの満面の笑顔でした。改めて、国民の税金から事業費が捻出されている日本語パートナーズプログラムの意義を感じます。日本の若者が海外にでかけて現地の若者たちと活動をすることの先にこそ、平和な未来があるという思いを新たにしました。
若いときの海外経験がキャリアの糧に
さて、帰国した卒業生は、2025 年4 月採用の就職活動ができないことを承知のうえでインドネシアでのプログラムに参加したわけですが、多くの同級生たちが日本で会社員としての生活を始めている現実に焦りを感じているようです。同調圧力が強いと言われる日本で、彼女が焦ることは当然とは思いますが、「焦る必要はない。インドネシアでの経験をステップにさらに羽ばたけ!」と励ましています。大学を4 年間で卒業して、卒業直後に会社に就職することを前提としている日本では、「就活に出遅れた」というマイナス面が強調されますが、マイナス面を上回るメリットを海外で修得してきたと考えます。
人生100 年の今、成人してからのキャリア人生は40 年以上になるでしょう。50 年、いや60 年になるかもしれません。1 年や2 年に違いがあるのでしょうか。寿命は人それぞれであり、同じ年に生まれて、同じ年に小学校、中学校、高校、大学と進学しても、あの世に進む年は人それぞれです。
若くて体力があるときにこそ海外で経験を積んだ方が今後のキャリアに良い影響を与えると筆者は考えています。だからこそ、彼女の背中を押したわけです。また、国際交流基金と日本語パートナーズは雇用関係にはありませんが、派遣に先立って合意書を取り交わし、1 カ月の国内研修を受けて、旅費・滞在費などを受け取ります。就職とは異なりますが、胸を張って履歴書に書ける貴重なキャリアに間違いありません。
インドネシアの高校で日本語を学んだ生徒の中には、卒業してから技能実習生として、憧れの日本に行く夢をもっている人も少なくないそうです。彼女は、そのような生徒たちをサポートする仕事に就きたいと言っています。
日本語教育は教室内で完結するものではありません。日本語を学ぶことによって、他者と自分自身との関係を築きながら、豊かなキャリア人生を歩み続ける外国人をこれからも応援していきたいものです。そして、そのような外国人とともに歩み続ける「日本語教師の卵」が、大きく世界に羽ばたくことを願わずにはいられません。