icon-sns-youtube icon-sns-facebook icon-sns-twitter icon-sns-instagram icon-sns-line icon-sns-tiktok icon-sns-etc
SEARCH

型技術 連載「中国の金型業界のリアル」

2025.09.22

第1回 中国へ進出した金型メーカーを事業承継

  • facebook
  • twitter
  • LINE

杭州谷口精工模具有限公司 小方暁子

おがた あきこ:董事長、OISHIエンジニアリング㈱代表取締役 神奈川県川崎市出身。留学経験後、日本と海外の文化や交流に興味をもち、旅行専門卸業勤務を経て、中小企業向け業務システム会社を立ち上げ。中国浙江省・杭州市にて業界経験ゼロから金型メーカーを事業承継。日本では金型商社事業と工業・農業系地方創生・海外ビジネス交流事業も手がける。
 読者の皆さま、こんにちは。中国へ進出して30 年の日系金型メーカーである杭州谷口精工模具有限公司の2 代目経営者、小方暁子と申します。このたび『型技術』誌で連載させていただくこととなり、大変うれしく思っております。

 私は観光を学び、アジア専門旅行関連の仕事を経験後、中小企業の業務システム開発を請け負う会社を約15 年経営していました。そんな経歴の私が、金型業界経験ゼロからいきなり海外での金型メーカーの事業承継という型破りな提案を受け入れ、2010 年、中国の浙江省杭州市に赴任後、2016 年に正式に当社の2代目経営者となりました。

典型的な町工場の末っ子

 1979 年、神奈川県川崎市で先代である父親が始めた樹脂金型製作工場。自宅の隣にあったその工場では、平日は遅くまで働く先代や従業員のお兄ちゃんたちのために手づくりお菓子を差し入れし、週末は24 時間稼働している放電加工機を定期的に見に行く先代についていき、いろいろな加工機の操作方法を教えてもらっていました。テレビのリモコンなど家の中にあるプラスチック製品は、無意識に裏面をなでてバリの有無を確認する子供でした(笑)。先代の運転する車で納品に行き、顧客の工場内で「少しナメといたから」という先代の言葉に、子供ながらに「これが納品なんだ!」と尊敬のまなざしで見上げていました。「工場」というモノづくり現場は、典型的な家族経営を行う町工場の3 人きょうだいの末っ子である私にとって、わくわくする学びの場所でした。

 ところが、1990 年代に入ると週末に遊んでくれて、ときに相談にものってくれた従業員のお兄ちゃんたちが少しずつ辞め、作業着ではなくスーツ姿の先代を見ることが多くなりました。まだまだ自分のことで精一杯の年頃だった私は、一体何が起こっているのか、深く考えることもありませんでした。日本の金型製作工場のすべての資産を中国に投資し、中国国営企業との合弁会社設立のために現地入りしていた先代は、私に海外での生活状況を教えてくれたり、作業服やロゴへの意見を聞いたりしていました(図1)。そして1993年の冬、日中合弁の杭州谷口精工模具有限公司のプレオープンセレモニーへ招待してくれました。それが私の中国初上陸であると同時に、日本の工場がなくなったことを実感するセレモニーでもありました。
図1  杭州谷口精工模具有限公司設立時の会社ロゴ案(左)と、2016 年事業承継時に刷新したロゴ(右)

海外での事業承継

 その後の2009 年、先代から当社の事業承継を行いたいという相談がありました。幼少時から抱いていた工場や製造業に対するイメージは非常に良く、海外と接点の多い仕事をしてきた私は、海外で仕事をするということに対して心理的な負担はありませんでした。「技術はわからなくていい。企業経営は、どんな会社でもどの国でも一緒だと思う」―先代のこの言葉1 つだけを信じて、中国で事業承継することを決めてしまいました。

 今思えば、あまりにも安易だったと思うのですが、実際は「中国の生活を経験してみて、それから相談のうえで決める」という条件付きでの承諾です。先代は、私にまずは中国語の勉強と現地の人の生活を理解することだけを要求し、工場に一緒に行くのは月に数回だけでした。1 年が経過した頃、そろそろ正式に事業承継の準備をしよう…と話し合った4 日後、先代が病に倒れ緊急入院! 先代を無事に帰国させることが私の初任務となりました。

「珍獣扱い」から「共創する仲間」へ

 「たまに遊びに来ていた先代の娘」が、突然「2 代目経営者」へと立場が変わると、社内外の「古くからの友人」や「信頼されていた人たち」が、毎日多種多様なアドバイスをしに訪れます。当時、海外資本の金型メーカーは周辺になく、外国人自体がいない地域だったこともあり、周辺企業の方まで見学に訪れ、まるで「動物園のパンダ」のような気分でした。

 ところが数年たつと、周辺企業もローカルからグローバルを見据える時期に入っていったようで、輸出製品を製造する企業が増え、工場拡大・設備投資もものすごいスピードで進んでいきました。そして、単なる「外国人への興味」から「外国企業の管理や技術」、「海外企業との付き合い方」、「世代交代の悩み」、「海外進出に向けての情報収集」といったビジネス交流という目的をもって来社する方が増えていきました。中国の発展スピードと成長に対する貪欲さは、金型メーカーが企業として発展し続けるということを私に強く意識させてくれました。「自由に外を歩きまわるパンダ」として、中国金型関連企業が集まる、外国人が参加しないようなローカルの交流会や展示会などに、積極的に参加するようにもなりました。その結果、中国金型工業協会の秘書長や中国金型関連企業の経営者との対談も実現し、有意義な交流を続けています(図2)。
図2  中国金型工業協会の秦珂秘書長と中国金型部品加工企業経営者との対談(2023 年)

図2  中国金型工業協会の秦珂秘書長と中国金型部品加工企業経営者との対談(2023 年)

 しかし、それと同時に日本の金型業界の動向を聞かれることも増えていきました。残念ながら私には日本の金型業界での経験がなく、日本でのビジネスからも遠ざかっています。中国においては「日本に工場がない日系企業?」、日本においては「中国にしか生産拠点がない日本企業?」と不思議がられ、せっかく中国でチャンスがあるのに日本の情報を伝えることはもとより、企業PR さえもうまくできず、自分の経験不足や知識不足にふがいなさを感じながら、何年も過ごしてきました。

 そうした中でもおかげさまで当社は、金型設計・部品加工・磨き仕上げ・成形など、小規模金型関連企業のネットワークを独自に育て、単なる協力関係やサプライヤーとしてだけなく、それぞれの強みを活かした共創関係を築きながら、今年で30 年を迎えることができました。また、日本では改めて金型商社機能をもつ拠点を設立し、情報収集やビジネス交流事業も展開しています。

目標は「学びとアップデート」

 近年、サプライチェーン再構築がますます注目されるようになりました。中国でも金型業界は工業の発展のかなめであると再認識され、業界全体の底上げや技術人材育成、海外との交流に力を入れています。

 本連載は、中国の金型関連業界の中小企業経営者や、中国金型業界で活躍している日系企業への取材を通じて、約2 万社ある中国の各中小金型企業が、企業の存続をかけてどのような戦略で戦っているのかを中心に、日常業務における小さなアイデアから、企業ブランディング・産学官連携・グローバル展開・未来への展望まで、経営者の立場から中国のリアルをお伝えしていきたいと思っています。

 技術や設備、工場管理などの現場視点ではなく、企業運営やビジョンなど、経営視点から金型企業として生き抜くヒントを学び、金型大国へと発展を遂げた中国の金型業界の情報をアップデートするきっかけとなれば幸いです。これからどうぞよろしくお願いいたします。

関連記事