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プレス技術 連載「世界のなかの日本、日本のなかの世界」

2025.09.12

第6回 言語教育が育む多様な生き方、多様な未来

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帝京大学 平田 好

ひらた よしみ:日本語教育センター センター長。早稲田大学卒業後、1995 年からベトナムを皮切りに世界各国で日本語教育に携わる。2021 年に帝京大学共通教育センター教授に就任し、2022 年から現職。修士(国際関係学。2000 年早稲田大学)。

様変わりしたタイに行ってきた

 先日、17 年ぶりに、タイ王国に行ってきました。目的地は、首都バンコクの西、約55km にある「ナコーンパトム」。と言っても、多くの読者にはなじみがない土地かもしれません。私自身も、数カ月前まで町名すら聞いたことがありませんでした。
 ナコーンパトムは、世界で最も大きく黄金に輝く仏塔がある町として知られています。インドから来た僧によってインドシナ半島で最初にお釈迦様の教えがもたらされた仏教伝来の町だそうです。とは言え、今回の私の目的はその町にあるシラパコーン大学で開催された研究会への参加でした。
 私は2000 年代半ば、ラオスの首都ビエンチャンに駐在していたこともあり、隣国タイはなじみ深い国です。メコン川沿いにあるビエンチャンは川の対岸がタイなので週末ごとにタイの町に日常品の買い出しに行き、さらに2 ~ 3 カ月に1 回はバンコクにも足を延ばしていました。
ナコーンパトムの仏塔

ナコーンパトムの仏塔

シラパコーン大学内の池

シラパコーン大学内の池

 当時もバンコクにはスカイトレイン(高架鉄道)や地下鉄があったものの、一部地域のみ開通されている程度でした。公共交通機関が少なく、夕方になると道路は激しい渋滞にみまわれていました。しかし今回、出発前に調べてみると地下鉄、スカイトレインが縦横に張り巡らされており、東京の路線図さながらの様相です。2006 年に開港したスワナプーム空港(日本でいう成田空港)からも、以前からあるドンムアン空港(日本でいう羽田空港)からも、都心に向かう空港線が走っています。今回は、スワナプーム空港から都心まで空港線と地下鉄という二つの鉄道を乗り継いで行くことにしました。
 空港線の駅改札に入る前に日本円からタイ・バーツに両替をして乗換をする駅までの料金を確認。自動券売機で購入したトークン(黒い樹脂製でコインより大きい円形札)を使って改札を通過して電車に乗ります。日本であれば無意識にしている動作も、外国では一つひとつドキドキしながら確認しなければなりません。成田空港から電車に乗って都心に向かう外国人の不安な気持ちがよくわかります。ガイドブックやインターネットで調べてはいても、いざ現地に着くと想定外の「トラップ」があるものです。トークンは改札機のどこに入れるのか、それともかざすのか。私が失敗したら後に並ぶ人たちの迷惑になるのではないかと緊張します。日本でも交通系IC カードを手にしながら改札口で立ち往生している外国人観光客をよく見かけます。いくら外国語表記の案内板を設置しても、わかりづらいことには変わりありませんし、英語、中国語、コリア語圏以外からくる外国人もいます。

外国人にもっと積極的に声をかけてみよう

 これまでも外国人に道を尋ねられた際は、私なりに手伝ってきたつもりですが、最近はもっと積極的に困っている(かもしれない)外国人に声をかけるべきだと思いを新たにしています。というのも、今回、私自身が現地の方に助けられたからです。

 バンコクの空港から中心部に向かう路線の乗換駅にあたる空港線と地下鉄の駅はそれぞれ少々離れており、駅名も異なります。駅の行先案内板にはアルファベット表記もあるのですが、自分が向かおうとしている方向が適切なのか確信をもてず、キョロキョロしていたところ、英語で「お手伝いできることありますか」と声をかけてくれた女性がいました。帰宅途中の会社員で、行先が同じ方向ということもあり一緒に改札口まで案内していただき、彼女とともに地下鉄に乗り込むことができました。電車の中で日本から来たことを伝えると彼女自身も5、6 回の来日経験があり、最後に「日本はよいところですね」と嬉しい言葉をかけてもらいました。

 強調したいのは、彼女はごく自然に外国人である私を助けてくれたこと。タイが豊かになり余裕のできた今だからこそ、このような方に出会うことができたのかも知れません。何はともあれ、彼女のお陰で私は無事、バンコク市内に到着することができました。

三現主義と「ことばの教育」

 バンコク市内で一泊した後、翌朝、ナコーンパトムに向かい、会場であるシラパコーン大学に入りました。大学に入ると卒業式に着用するガウンを着て帽子を被った学生が多数います。卒業式かと思えば、「卒業式の練習」とのことでした。研究会の運営を手伝ってくれている4 年生に卒業式の練習をしなくてもいいのかと訊けば、「卒業は今年3 月ですが、卒業式は来年になります」と。私の頭の中は「?」マークで一杯です。事情を聞くと、タイの国立大学の卒業証書は、国王または王族が学生一人ひとりに直接手渡すそうです。そのため、卒業式の日程は王族のスケジュール次第であり、卒業した翌年になるのが普通とのことでした。
 既に卒業してナコーンパトムから離れた元学生たちは、わざわざ卒業式に出席するために休暇をとって来るわけです。
 それぞれの国や地域の事情というのは、現地に出向いて、その地の人々に接して、同じ空気・同じ食事を摂ってみないと理解できないものです。久しぶりのタイ出張で、「百聞は一見に如かず」を痛感しました。
 さて、研究会は世界中から50 名余りの日本語教育関係者が参加して始まりました。まずは、タイの日本語教育の歴史をふり返る基調講演。そして今回のテーマ「海外日本語教育が育む多様な生き方、多様な未来」に基づいて、3 名のタイ人日本語学習者が登壇しました。
 以前は、日本語学習者のキャリアは、日系企業での勤務、通訳者や翻訳者など日本語をメインで使用する仕事に就く者が多かったのですが、近年、多様化しています。そこでアーティストやインフルエンサーなど日本語学習の経験を活かして、多様なキャリアを築いた学習者3 名をゲストに招き、日本語学習と学習者自身の関係性を確認しながらディスカッションを行いました。
 これは、日本語教育・日本語学習の本質的な意味やその可能性、ひいては「ことばの教育」の可能性、学習者のアイデンティティ形成について考える機会になりました。「ことば」には、道具という意味以上のものがあります。「ことば」によって、人が作られていくこと、人の生き方と不可分の関係ある「ことば」の教育について、これからも考えていきたいと思います。
シラパコーン大学内の池

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