型技術 連載「外国人材から一目置かれるコミュ力養成講座」
2025.06.12
第12回 続々・中国人の「問題ない」の本当の意味を理解する
ロジカル・エンジニアリング 小田 淳
おだ あつし:代表。元ソニーのプロジェクタなどの機構設計者。退職後は自社オリジナル製品化の支援と、中国駐在経験から中国モノづくりを支援する。「日経ものづくり」へコラム執筆、『中国工場トラブル回避術』(日経BP)を出版。研修、執筆、コンサルタントを行う。
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中国人の「没問題(問題ない)」に含まれる「『今』は問題ない」の意味について、先々回の連載では、「仕事を一任しない」と「根拠や理由を聞く」が大切とお伝えした。また、「『私』は思う」の意味については、先回の連載で「ルール・フォーマットをつくる」が大切とお伝えした。今回は、これら2 つを合わせた「『今』は問題ないと『私』は思う」について適切な対応をお伝えする。
鏡筒の表面に痕がある
筆者は中国駐在中にプロジェクターのレンズが取り付く鏡筒の金型を製作していた。ダイカストの金型が出来上がり、その確認のためにダイカストメーカーを訪問したときの話だ。この部品は金型で成形した後、旋盤で切削加工を行い、最後に黒色のアルマイト処理をして製品になる。アルマイトとは、めっきのようなものだ。
この部品の試作リーダーが、アルマイト処理を終えた部品を会議室にもってきた。筆者がこの部品を手に取り外観を確認したところ、鏡筒の表面周囲にNGとなる斑点のような痕が付いていたのだった(図1)。
筆者は試作リーダーに、この斑点はどうして付いたのか質問した。試作リーダーはしばらく考えた後、「アルマイト処理をした後の切削加工で部品をチャックするので、その痕だ」と言った。アルマイト処理は最後の工程である。この後に切削加工するはずはない。筆者はすかさず「切削加工はアルマイト処理の前だ。それは違う」と言った。すると今度は、「切削加工のときに鏡筒を外側からチャックをするので、そのチャック先端の油が付いて、その部分だけアルマイト処理がきれいにできなかった」と言った。
筆者は半信半疑であったが、この打合せの前に別の担当者から鏡筒の製造工程を見せてもらっており、切削加工で鏡筒をチャックしている写真を撮ってあったのだった。カメラの写真を再生してその確認をしたところ、鏡筒の表面に傷がつかないように内側からチャックしていたのだ。しかし、その写真を試作リーダーに見せたところ、自分が間違った回答をしたことに悪びれた顔も見せずに、また別の原因を考え出そうとしていたのだった。
この試作リーダーは、この部品の工程をまったく知らないようだった。試作リーダーにアサインされたばかりで、筆者の対応を急遽任されたのかもしれなかった。筆者はこれ以上この試作リーダーに質問してもまともな回答は返ってこないと考え、すでに退社時刻も過ぎていたので、次回の訪問までに原因調査とその対策を行うよう依頼し、帰宅の途についた。
後からわかった本当の原因は、アルマイト処理で鏡筒を溶液に漬けるときに鏡筒を表面からつかんだ痕だった。試作のときには、まだつかむ方法は決めていない場合が多いので、よくあることではあった。
「今」、「私」がわかる限りで回答する
筆者は、この試作リーダーが本当の原因を知らないにもかかわらず、なぜ自分の憶測だけで返事をするのか理解できなかった。わからないならそう言えばよいし、実務担当者に聞いてもよい。また、調べて後日連絡するでもよい。
しかし、これはもしかしたら日本人独特の考え方なのかもしれない。憶測かもしれないが、試作リーダーは、「今、私(自分)」のできる限りの回答をしただけなのである。中国の街中で知らない人に道を聞くと、いいかげんな回答が返ってくる場合がある。しかし、道順を詳しくは知らなかったので、自分のできる限りの回答をしたまでかもしれない。精一杯の努力をしたとも言えるのだ。
「詳しく知らないなら『知らない』と言ってほしい」と確実な回答を求める日本人と、「自分の知っている限りの回答はしてあげよう」とする中国人の国民性の違いかもしれない。「中国人はいいかげんなことを言う」と不満を言う日本人は多いが、決してそうではないことを知っておくべきである。
妥協しないで質問する
とは言いながらも、確実な回答を得られないまま設計業務を進めるわけにはいかない。後から大きな問題に発展しかねないからだ。そこで、筆者は中国人と仕事の話をしているとき、少しでも懸念が生じたり納得できなかったりすれば、自分が完璧に理解するまで妥協せず質問を繰り返すことにしている(図2)。
図2 自分が完璧に理解するまで妥協せず質問を繰り返す
筆者が行っている研修で、「そんなにしつこく質問して、相手に失礼に当たらないか?」と質問を受けるときがある。答えは「No」だ。決して失礼にはならない。中国人だって、自分が憶測で回答をしているのはわかっている。それに納得するのか、もっと詳しく知りたいのかは、質問する側が決めることなのだ。
中国は「交渉の国」
話はややそれるが、中国は「交渉の国」である。中国人の友人と革のかばんを買いに行ったときの価格交渉の話である。友人がいくらだと質問したところ、店員は800 元だと言う。そこで友人は300 元にしてくれと言う。次に、店員は700 元ならいいと言い、友人は400 元なら買うと言う。さらに、店員は600 元が限界だと言い、友人は500元にしろと言う。こうなってくると、傍観している筆者からはほとんど喧嘩状態に見える。結局は550 元で双方が納得し、友人はそのかばんを買った。すでにこのときには、お互い笑顔になっている。設計の話と買い物とは違うが、似たような国民性が見て取れる。