番組に登場したエンジニアは出世した
──番組に参加された方々にはその後どのような変化があったのでしょうか。
今回このインタビューを受けるに際して、いろいろ取材しました。キャッチーな話からすると、「魔改造の夜」に出たエンジニアは出世しています。たとえば、第五夜の「電気ケトル綱引き」でメンターを務めたソニーの鳳康宏さんは、メカ設計の部長からハードウェア部門の部門長、事実上プレイステーション事業の責任者になられた。
「扇風機50m 走」(第三夜)でプロジェクト・マネージャーを務めたソライズの井上雄介さんは、事業部長でしたが、今年、SOLIZE PARTNERSの社長に就任されました。
「電動マッサージ器ドラッグレース」(第十夜)でスズキのリーダーだった鈴木丈大さんは、ご自身で「しがない平社員」とおっしゃっていましたが、係長になられました。
もちろんすべて魔改造のおかげとはいえませんが、皆さん少なからず「魔改造の経験が出世につながっていると思う」とおっしゃっています。
──すごい影響力ですね。番組に出たことでその方の人生が大きく変わる。心理的にもがらりと変わったのではないでしょうか。
変わっているようです。「恐竜ちゃん缶蹴り」(第十一夜)のサブリーダー、島津製作所の佐藤慶佳さんは、当時社会人5 年目で、「新しいことをやろうとしても骨抜きにされ、組織に丸め込まれていく」というネガティブな雰囲気を社内に感じ、葛藤していました。でも魔改造で、つくったものに責任を持てるすごいエンジニアがいると知り、「主体的に興味を持って仕事のできる社風にしたい」と再び奮起しているそうです。その第一歩として魔改造で知り合ったベテランエンジニアと、営業トーク用ツールとして、医療検査機のミニチュアづくりを自主的に行っています。
「電気ケトル綱引き」に参加した当時入社3 年目のソニーの村井宏輔さんは、「試作には予算の承認が必要なので気軽にチャレンジできなかったけれど、自分のできる範囲が狭くても、その中でどれだけ検証できるかやってみるようになった」と。また「仕事は失敗がないのが問題」と思っていたけれど、魔改造で“試作して失敗してフィードバック”というサイクルを繰り返し、失敗の価値に気づいてからは「『だったらとっとと失敗してしまえ』とまわりを気にせず、自ら手を動かすようになった」といっていました。
同じくソニーの土井貫嗣さんは、半導体のイメージセンサを設計するエンジニアですが、「何のためにやるか」とつくる前に立ち止まるのをやめ、「とりあえずやってみる」という考え方に変わったそうです。「手を動かせばわからないことがわかるようになったから」と。
一方、彼らのメンターであるソニーの鳳さんは、「自分のやり方が正しいことが再認識できた」と。「案に価値はない。試して初めて価値になる」、「ソニーらしさを気にせずできたことも良かった」と語っていました。
ここまでは「勝者」の方々ですが、「敗者」の方も大きく変わっています。
「カメレオンちゃんダーツ」(第八夜)のリーダーを務めた東大工学部の中島眞由さんは、「モノづくりネイティブじゃないので、アイデアがあるのにうまく形にできない」と葛藤していた。でも魔改造でダーツが的に刺さった時の「いい音」で、「私にもつくれる」と自信を持った。そこで、子どもたちが自分のアイデアを形にするワークショップを催す「つくらぶる」というスタートアップを立ち上げています。自分のように「私にはものはつくれない」と思い込む子どもがいたら、大きな「機会損失」になると考え、起業したそうです。
魔改造は「改造」だからいい。海外に目標が生まれている今、「改造」が得意な日本がリードする可能性が出た
長藤先生もおっしゃっていましたが、魔改造のいいところは「改造」だからとっつきやすいこと。ゼロからつくるとなると敷居が高いのですが、すでにあるものを「ちょっといじる」という感覚で参加できる。
──日本のモノづくりは戦後、海外の完成品を見て、それを改造・改良することでレベルを上げてきた歴史がありますから、「改造」という手法は日本人に合っているのかもしれませんね。
長藤先生も「日本のモノづくりが戦後あれだけ発展できたのは、アメリカというお手本があったからだ」といっていました。追いつこうと少しずつ価値を乗せていくうちに、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」になった。しかし追いかける目標がなくなった瞬間に、日本の停滞が始まった。
──だとすれば、今また海外に追いかけるべき目標ができた状況は、日本が再び伸びていくチャンスともいえますね。
そうかもしれません。魔改造出身のエンジニアたちが社会で革新的製品を生み出そうと、水面下で着実に変化を起こしています。いつか魔改造エンジニアたちの手で、失われた30 年から日本の製造業界が、オセロのようにガラリとひっくり返っていくような気がしています。
ほかにもさまざまな変化が起きています。スズキのエンジン設計エンジニアの小林進一さんは、物事を俯瞰で見られるようになったこと、仕事が自分ごとになったこと、人嫌いがなくなったこと。それから、よく眠れるようになったこと。
──そんな効果まで……(笑)。
本業は分業が進んでいるから自分の固有性を見出せないけれど、限られた人数で行う魔改造は自分がやらないと開発が止まるので、意識的にコミュニケーションをとるようになった。それが気持ちを楽にしたのかもしれません。小林さんは妻に「明るくなったね」っていわれたらしいです。
「失敗すること」「自分ごとにすること」「フラットな組織をつくること」が、『製造業の地べたからの革命』を起こす!
──組織への影響はいかがでしょうか。
スズキでは、部署の垣根を越えて気軽に相談できるようになったようです。
魔改造事務局のトップをされた野中彰さんは、「魔改造はフラットな場づくりである」とおっしゃっていました。魔改造したい人は誰でも参加できる体制づくりをされたので、普段出会うことがないエンジニアが出会い、相互理解が進んだ。「魔改造はイノベーション発生装置」であると、会社の明るい未来を感じておられます。
その象徴が、電動マッサージ器ドラッグレースで優勝した「電レースソロ」。二輪と四輪のエンジニアが手を組んで、二輪のチタンを削る技術を搭載した電動マッサージが誕生しました。
学校と企業との交流で、学生が魔改造企業に就職することまで起きています。先ほどの東大の「カメレオンちゃんダーツ」のリーダー、中島さんは、第三夜に参戦したソライズに就職しました。社長になられた井上雄介さんに憧れて入社したといっています。
東大では「魔改造の夜」が正式な授業になっています。前期と後期、年に2 回、約30 人の学生たちがわれわれと同じように、お題を考え、半年かけて魔改造する。最後の授業で魔改造したモンスターのお披露目と競技を行い、映像サークルが撮影や実況をする。それで単位がもらえる名物授業になっています。理系だけでなく文系や女性も多く参加しています。
参加者同士で結婚する例も生まれています。結婚できて、就職もできて、よく眠れるようになって……。すごい効果だと(笑)思いますね。
番組立上げ時にはまったく集まらなかった参加者は、今では応募が殺到し、お断りするのが辛いほどの大行列状態になっています。多くのエンジニアの魔改造したい気持ちを大切にしたいので、気長にお待ちいただけたら幸いです。
──今回は、とくに「失敗文化」をキーワードにお話を伺いましたが、鬼頭さんが番組制作を通じて製造の現場にフィードバックできそうなことはありますか。
「魔改造の夜」は「エンジニアが飛躍するきっかけとなるコンテンツ」だと考えていますが、そのうえで、エンジニアのリミッターが外れる要因は次の5 つだと思っています。
1)誰もやったことがないお題
2)1.5 カ月という短期間での開発
3)見えないライバルとの戦い
4)会社や学校を背負っているプレッシャー
5)主体がエンジニアであること
われわれは映像コンテンツをつくっているつもりでしたが、最近は製造業界の改革までもしていたとさえ思うようになっています。大げさかもしれませんが、魔改造によって「製造業の地べたからの革命」が起きている気がします。
工場長の方や管理職の方々にお伝えできることがあるとすれば、若手を育てる際に、「とにかく失敗させる」「自分ごとにさせる」「フラットな組織にする」ことをお勧めします。それが人材育成と組織変革の第一歩になると確信しています。
──鬼頭さん自身は番組制作を通じて変化はありましたか。
あります。とくに失敗に対する許容度は変わりました。昔なら「何をやっているんだ」と叱責していた失敗も、うまくいくことよりも価値があるかもしれない、と思えるようになりました。
鬼頭明氏(きとう・あきら)
東京生まれ。大学卒業後、映像コンテンツ制作会社「テレビマンユニオン」に参加。おもな演出作品として「魔改造の夜」(NHK総合 BS)のほか、「共につくる フレンチシェフと輪島塗塗師」(NHK BS1)「時空警察」(NTV)、「世界ふしぎ発見!」(TBS)など。受賞歴としてATP賞新人賞「世界ふしぎ発見!江戸川乱歩編」/ATP賞最優秀賞「魔改造の夜」/ギャラクシー賞テレビ部門奨励賞「魔改造の夜」など。目下の狙いは『みうらじゅん賞』