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型技術 連載「モノづくりの未来を照らす高専突撃レポート」

2025.01.28

第4回 能登半島地震から学ぶこと―石川高専の現状と展望

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フリーアナウンサー 藤田 真奈

ふじた まな:大阪府出身。元とちぎテレビアナウンサー。関西学院大学卒業後、金融業界の企業に就職。その後転職してアナウンサーに。とちテレニュース9(とちぎテレビ)、アクセント!(栃木放送)、BerryGood Jazz(Radio Berry)、軽井沢ラジオ大学モノづくり学部(FM軽井沢)などに出演中。
E-mail:manafujita.mc@gmail.com
Instagram:mana.fujita

「デザコン」常勝校 暮らしに寄り添うモノづくりが魅力

 石川県の中央部、金沢市から在来線で10 分ほどの場所に位置する津幡町。県内の加賀地方、能登地方、そして富山県を結ぶ交通の要衝として栄えたこの町に石川高専(石川工業高等専門学校)はあります。開校から今年で59 年。これまでに輩出した卒業生はおおよそ9,000 人に上ります。

 そんな石川高専は、生活環境に関連したさまざまな課題に取り組みながら、デザインや設計などを競う大会「高専デザコン」の創造デザイン部門の常連校。全国の応募チームの中から10 チームのみ出場できる決勝大会に10 年連続で出場していて、直近だけ見ても2021 年と2022 年は「優秀賞」、「審査員特別賞」、2023 年は「最優秀賞」と、すばらしい成績を収めています(2022 年度は空間デザイン部門でも「最優秀賞」、「優秀賞」を受賞)。

 また、コンテストでの発表にとどまらず、過去の受賞作の中には実装にこぎつけているものもあります。現在広く社会問題になっている運転免許証の返納。この返納によって、世の中には使われなくなったカーポート(車庫)があるはずだ、というところに目をつけ、その持て余されているカーポートを「地域のために使えないか」と考えたのです。そこで思いついたのが「バス停」としての利活用でした。

 石川県内では巡回バスが住民の足として重要な役割を果たしていますが、雨や雪が多い地域であるにもかかわらず、屋根の付いたバス停がほとんどありませんでした。カーポートなら頑丈な屋根がついているし、バス停にはもってこいだと考えたのですが、そもそもバス停として機能する場所に、はたして使われなくなったカーポートはあるのだろうか ―。このカーポート探しが困難を極めたそうです。

 実際に学生たちがバスに乗ってルートを巡り、肉眼で見えるカーポートをリストアップしていく…。おおよそ1 年間の地道なリサーチの末、ようやく協力してもらえるカーポートを見つけました。快適なバス停にするべく、カーポートの下にはベンチや時計を設置。現在はバス停としての役割を果たしながら、住民同士の交流も生まれるコミュニティスペースになっているそうです(図1)。
図1 バス停として生まれ変わった「カーポート」(写真提供:石川高専)

図1 バス停として生まれ変わった「カーポート」(写真提供:石川高専)

予期せぬ災害石川高専で何が起きたのか

 今年1 月1 日の能登半島地震は、そんな石川高専にも襲いかかりました。縦揺れの後、長めの横揺れ―。住民は「これまでに体験したことのない大きさと長さの揺れだった」と振り返ります。

 震源地から80 km ほどの場所に位置する石川高専のキャンパスは小高い丘の上にあり、町の指定避難場所になっていました。テレビ報道によって能登が震源地であることと、津波警報と避難指示が出されていることが周知されると、地域の人たちが続々と校内に避難。本震の当日は80 人ほどの人が訪れ、うち半数が校内で一夜を明かしたそうです。

 避難所になっているのだから被害がなかったのかと言うとそんなことはなく、敷地内の地盤が緩い場所ではアスファルトが割れて地面が波打ち、のり面崩壊が起こっていたり、液状化が進んでいたりと目に見える被害が多くありました(図2)。「1,000 人規模の学生を受け入れている以上は安全を確保しなければいけない」。その一心で、建築学科の卒業生の協力を得て、建物の被害状況や土地の状態を確認し、立ち入って良い場所と立ち入り禁止にする場所の判別を行ったと言います。
図2 地震により被害を受けた石川高専(写真提供:石川高専)

図2 地震により被害を受けた石川高専(写真提供:石川高専)

 それと同時に行われたのが、学生や職員たちの安否確認です。コロナ禍以降に形成されたオンライン環境を活用し、個々に連絡をとりました。自宅や実家が被災しながらも無事の知らせが届く中、残念ながら教職員1 名が帰省中に被災し亡くなっています。

 仲間の死を受け入れきれない気持ちの中でも、休み明けに学生たちを受け入れる準備は進めなければなりません。この状況下では学生たちの心のケアも必要になることが予想されたため、東日本大震災を経験した仙台高専(仙台高等専門学校)カウンセラーの先生から、学生たちの心のケアをどのように行えばよいかなどアドバイスを受けたそうです。

 1 月末現在、石川高専周辺地域ではブルーシートがかかっている家が数軒ある程度で、一見大きな被害があったようには見えません。しかし、電気や下水道が今までどおり使えなかったり断水が続いていたりと、目に見えないところで震災の影響は続いていると言います。

震災を経験して感じた「建築」の重要性

 今回の地震では、同じ石川県内でも地盤の違いや建物の強度の違いなどで、隣の家でも被害状況がまったく違っていました。建物がつくられた時期によって建築の基準も異なるため、特に1981 年より前につくられたものは、かなり大きな被害を受けていたと言います。

 この現実を目の当たりにし、建築学科の内田伸准教授(図3)は「改めて建築の重要性を感じた」と話してくださいました。「建物って、機能的で壊れなければよいというだけのものではなく、その土地の人の暮らしや伝統を含めて『環境とともに生きる』ということに携わっていると再認識しました。建築に携わる者として、建物が命を守るときもあれば死に至らしめることもあるということを肝に銘じ、これからの建築に携わる人財の育成に尽力したい」。内田准教授の目は、すでに未来に向けられていました。
図 3 建築学科で教鞭を執る内田伸准教授(写真中央)(写真提供:石川高専)

図 3 建築学科で教鞭を執る内田伸准教授(写真中央)(写真提供:石川高専)

 前述したデザコンもそうですが、住民の暮らしに寄り添うモノづくりを得意としてきた石川高専。そんな学生たちが、今回の震災を通して見聞きし学んだことは、きっと今後の日本の力になるに違いありません。

 最後に、「私たちに今できることは?」と内田准教授に尋ねたところ、「北陸のことを思い出して、励ましの言葉をもらえるだけで前向きな気持ちになれる」と答えてくださいました。今これを読んでくださっているあなたに、もし北陸地方に住む友人や知り合いがいたら、ぜひ連絡をとっていただきたいです。メールや手紙、電話など、どんな手段でも、ほんの短い文章でも、きっと被災地で暮らす方たちの希望になると思うから―。

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