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機械設計 特別企画「経験談から学ぶ 難局はこうして乗り越えた!」

2026.05.08

事例2 アジア圏向け製品開発の難局を技術者としての成長の糧に

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鈴木技術士事務所 鈴木 敬一

すずき けいいち:代表、技術士(機械部門)

経歴

 私は2002 年に東京農工大学工学部の機械システム工学科を卒業後、放送機器メーカーに入社し、放送用中継車の設計開発に従事した。その後、電子機器メーカーで紙幣識別装置の設計・開発を16年間担当し、欧州での駐在も経験した。2022 年4月から管理職としてプロジェクトを管理する立場となり、後進の技術者の育成にも力を入れた。特に欧州駐在帰国以降は、アジア圏を中心に製品を市場投入するための調査・企画から、製品開発、製造の立上げ、現地技術者に対する技術支援と製品開発の上流から下流までかかわり、各国を飛び回っていた。

 2023 年2 月に製品開発の仕事を離れ、現在は外資系コンサルティング会社でエンジニアの教育や研修プログラムの策定および研修開発に携わっている。さらに業務を行いながら、技術者の国家資格である技術士(機械部門)(2021年取得)をはじめ、二級知的財産管理技能士などの資格を取得した。2022 年4 月に大学院修士課程の入学を決意し、学生として研究を行いながら2024年3月に技術経営修士(専門職)の学位を取得した。また、これらの学位や資格を活かし、副業として技術士事務所を開業。技術経営コンサルタントとして業務を行うとともに、資格取得などの自己研鑽を継続的に行っている。

 一方で、20代の若き日にはベーシストとしてバンド活動を精力的に行い、全国ツアーやワンマンライブ、CDリリース、TV番組のタイアップなどの経験もあった。当時も仕事をしながらバンド活動を行い、振り返ればかなり無理もした。若いときには仕事を覚えることも大切ではあるが、仕事以外に打ち込める何かがあるというのは、非常に重要なことではないかと考える。実際に私はその経験が、仕事と何かを並行して継続できる基盤になったのではないかと感じている。

アジア圏向け製品の開発で直面した難局

 技術者として最も難局だったのは、電子機器メーカー在籍時の紙幣識別装置の開発プロジェクトである。私が30代前半に欧州から帰国後にスタートした、新たにアジア圏向けの製品開発を行うものであった。プロジェクトメンバーの構成は、プロジェクトマネジメントを行う上司のほか、私を含む機構設計2名、電気設計1名、制御設計1名の5 名体制であり、その中で私がプロジェクトリーダーを任されたものであった。

 当時、アジア圏ではインフラ整備の一環で高速鉄道やMRT(Mass Rapid Transit)が増加しており、各駅で使用される鉄道用券売機向けの紙幣識別装置の需要も増加傾向にあった(図1)。欧州で培った製品のノウハウや後述する取組みや対策の実施によって製品の開発は順調に進んだように見えたが、製品の市場投入後に大きな難局を迎えることになった。その大きな要因の一つが、これまで製品を納めてきた欧州とアジア圏との環境が大きく異なることにあった。製品を開発するうえで現地環境を踏まえた評価・試験は実施しており、そこでは問題がなかったことは言うまでもない。しかし、市場投入後に現場でさまざまな製品不具合を多発させてしまった。
図1 台湾(台中MRT)に設置されている鉄道用券売機

図1 台湾(台中MRT)に設置されている鉄道用券売機

 不具合の詳細については扱っている製品の性質上、機密情報もあるため述べることはできないが、この不具合の多発により、私は年中アジア各国を飛び回ることになり、現地調査や顧客との調整をプロジェクトリーダーである私が一人で実施することになった。

難局を乗り越えるまで

 この開発プロジェクトは、特に難易度の高いものであった。私はアジア市場向けの新製品開発をリードする立場にあり、短期間での市場投入を求められていたことから、品質・コスト・納期のバランスを取ることが極めて難しい状況であった。これを打開する取組みの一つとして、開発スケジュールの見直しやリソースの最適化を行った。チームメンバーとの密なコミュニケーションを図り、日々の進捗確認と問題点の洗い出しを徹底した。また、設計段階でのリスク評価を強化し、事前に潜在的な問題点を洗い出して対策を講じた。しかし、市場投入後に予想外の難局に直面することになり、最終的にこれを解決するために最初の問題発生から約1年を要することになった。

 まず、欧州とアジア圏との環境の違いが大きな問題となった。現地の気象条件や使用条件が大きく異なることを十分に考慮していたつもりであったが、実際の使用環境では予想外の不具合が多発した。この不具合の多くは、気象条件としての湿度や温度、券売機の利用者が大きく影響していた。私はすぐに現地に飛び、直接現地で調査を行うことにした。

 最初の解決策として、現地の駅に赴き、利用者の実際の使用状況を詳細に観察した。それに合わせて、現地のメンテナンススタッフと協力し、問題の発生原因を特定するためのデータを集めた。しかし、不具合はそう簡単に発生するものではなく、現地での調査が思うように進まないため、推測される状況から試行錯誤を繰り返すことになり、何度も日本と現地を往復し調整を行う必要があった。

 突破口となったのは、現地スタッフからのフィードバックであった。彼らは日々発生する各駅での不具合を報告してくれており、私が現地でなかなか遭遇することのできなかった情報を詳細に提供してくれた。このフィードバックにより、製品内部のいくつかの機構部品が不具合を発生させる主な要因であることを突き止め、設計を見直し、改良を加えた。また、私はたびたびの現地調査から、現地の気象条件や、現地の利用者の普段の紙幣の扱い方、紙幣の投入の仕方などが想定していたものから外れていたことに気づき、これらを改良品の評価条件に加えた。これにより、製品不具合の発生を大きく低減することができ、新たな国への市場投入の大きな糧となった(図2)。
図2 改善への突破口となった設計変更プロセス

図2 改善への突破口となった設計変更プロセス

 プロジェクトを進める中で、モチベーションを保つことも重要な課題であった。度重なる失敗と調整に対するプレッシャーは大きく、何度も挫折しそうになったが、チームのサポートと顧客からの信頼が大きな支えとなった。特に、上司や同僚からの励ましやアドバイスは大変心強く、困難を乗り越える原動力となった。また、定期的に小さな成功をチームで祝うことで、モチベーションを維持し続けることができた。

 さらに、解決策を導くためには、社内外の連携が欠かせなかった。社内では、品質管理部門や開発の関連部門と緊密に連携し、問題解決に向けた多角的なアプローチを取った。例えば、一時的に評価メンバーを増員し、設計変更と評価を同時並行に進め、評価で問題が発生した際にはすぐに設計にフィードバックできる体制を整えた。さらに、肝要な部品に関しては、部品の加工精度が製品性能に大きく影響するため、部品製造を行う協力会社と再三議論を重ね、部品形状の最適化を実施した。

 社外では、現地メンテナンススタッフの協力とエンドユーザーである鉄道会社との関係を強化するため、迅速かつ効果的な対応を心がけた。特に、文化や言語の壁を越えた信頼関係を築くことが、前述した日々の現地からのフィードバックにつながり、よりスムーズに問題解決を進めた。当時は今ほど翻訳技術が高くはなかったため、英語を話すことができない相手に対して翻訳機に頼ることが難しかった。そのため、言語が通じない場合、自分が伝えたい情報に視覚的な情報を加えてどのようにして相手に伝えるかという点が課題であった。一例として、製品などを見ながら簡単な単語を並べ、相手の顔をよく見て、理解しているか否かを判断することである。そうすることで、相手も徐々に私の誠意を感じてくれるようになり、お互いの信頼関係の構築につながっていった。

 このプロジェクトを通じて、私は多くの失敗と試行錯誤を経験したが、それが自分自身の成長につながった。また、プロジェクトチームや現地スタッフとの連携を通じて得た知識や経験は、以後のプロジェクトにも大いに役立つものとなった。
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