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工場管理 連載「キラリと光る技術をM&Aでつなぐ」

2025.12.02

第9回 M&A経験者との対談「パインバレー」×「ナショナルサーチファンド」

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スピカコンサルティング 松栄 遥 

まつえ はるか:取締役 製造業支援部 岐阜県出身。2012年にキーエンスに入社し、国内トップクラスの成績で受賞歴多数。2016年、日本M&Aセンターに入社。2019年にはM&Aコンサルティングを共同創業し、代表取締役に就任。2023年にスピカコンサルティングに参画 URL:https://spicon.co.jp/ E-mail:h.matsue@spicon.co.jp
 今回は事業承継の選択肢を悩んだ末、「サーチファンド」という新たな事業承継のカタチを選択した事例を紹介します。バイクのカスタムやチューニングを専門に扱うパインバレー(横浜市金沢区)創業者/ 会長の松谷昇一氏と、その事業を譲り受けたナショナルサーチファンド(東京都港区)取締役の月原直哉氏との対談企画をお送りします。どのように事業承継の選択肢を取捨選択していったのか、サーチファンドを選んだ最大の理由とは、事業承継後に思うことについてお伺いしました。

そもそもサーチファンドとは?

 サーチファンドとは、経営者を目指す人材(個人)が投資家から出資や支援を受けながら、後継者不在企業を探し、当該企業の株式を過半数以上取得する形で、事業を承継する仕組みです。

 事業承継の選択肢としては、1.親族、2.社員、3.第三者(M&A)という3 つの選択肢が一般的ですが、第三者の中にも、M & A で企業に承継する形と、サーチファンドという個人に承継する選択肢が広がったとお考えいただけるとわかりやすいと思います。サーチファンドの特徴としては、次期経営者が明確であるということが挙げられます。

 サーチファンドは、1980 年代に米国で発祥したモデルですが、近年の日本でも事業の跡継ぎ問題に悩む中小企業の課題可決に役立つと期待されています。
                   
サーチファンドの仕組み

サーチファンドの仕組み

事業承継の背景と承継先の取捨選択

 松谷「私にはお世話になった叔父がいましたが、経営者だった叔父は60 歳のときにガンで亡くなりました。その当時、自分は35 歳でしたが、経営者が急に亡くなることの大変さを感じました。また、取引先のアメリカ企業がM&A によって企業売却する姿を身近で見ており、なぜアメリカの企業は簡単に企業売却するのだろうと不思議に思い、興味を持っていました。
 私には娘がおりますが、事業を継がせる選択肢はありませんでした。また、社内の従業員を見渡すと年齢も若く、自社株を買い取れる資金を用意するのは難しいと判断しました。70 歳や80 歳になってまで仕事をして、仕事だけの人生で終えるのは嫌だと思っていたので、60 歳になる前に企業売却をして、老後のまとまった資金と時間を買おうと決心しました。その頃『DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール』という本に出会ったのも背中を押されたきっかけでした。これまでがむしゃらに働いてきたので、最後に体が動くうちに、苦労をともに支えてくれた妻に恩返しをしたいと考えました。娘に父親としての生き様を見せてあげたいと思ったのも理由です」

ナショナルサーチファンドを選んだ理由

 松谷「最初は大企業との交渉を進めていましたが、交渉の過程で、親会社に飲み込まれて会社の良い文化(カルチャー)が壊されてしまう感覚を受けました。また、残されたメンバーが反発してしまうのではないかと危惧しました。結局この大企業とのM & A は破談に終わり、正直ホッとしたのを覚えています。
 その後サーチファンドに出会いました。親会社から人が送られてくるM & A と違い、経営を志願するサーチャーが経営を承継するスキームです。ナショナルサーチファンドの支援を受けながら、自分も数年伴走しながらサーチャーに事業を引き継いでいくスキームは面白いと感じました。
 最終的には、ナショナルサーチファンドのメンバーの熱い思いと誠実さに共感して、この人たちに事業を託してみよう思った次第です」

 月原「松谷さんと出会った際に、『松谷さんは生粋のマーケターだな』と感じました。同時に、『別のマーケターと掛け算したら、新たな事業展開が生まれるのではないか』と考え、今回のサーチャーである矢嶋正明氏(現社長)を紹介しました」

 松谷「当社の強みと弱みを調べられて、数年先の事業展開を初回面談からディスカッションできたのには驚きました。オーダーメイドの温かみを感じたのを覚えています」
パインバレーの松谷会長(中央)とナショナルサーチファンドの月原取締役(右)、筆者(左)

パインバレーの松谷会長(中央)とナショナルサーチファンドの月原取締役(右)、筆者(左)

事業承継を終えて、その後について

 松谷「私は会長となり、矢嶋さんが社長となりました。当社の従業員はみんな若いので柔軟性があります。全員に事業承継をしたことを発表しても、拍子抜けするくらいみんなの理解が早かったです。寂しい気持ちも正直ありましたが、何カ月かすればそれも慣れました。
 私はゼロイチを経験しましたが、1 から100 にするのは私ではなく矢嶋さんのような方が適任だと感じています。
 今では矢嶋さんを支えながら、家族に恩返しをしています。さらに、地元の富山県に対しても恩返しをしたいと思っているので、富山県で新たなチャレンジ(起業)をしようと思っているところです」

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松谷氏は、ご自身が60 歳になる前の早い段階から、事業承継の準備をされていました。若い社員を育てて、自分たちで考える組織づくりをしてきました。それによって、ご自身が退任した後でも、スムーズに新社長へ引継ぎができたのだと思います。客観的に引き際を見極めるのは難しいことだと思いますが、松谷氏は体力的にも時間的にも余裕を持った事業承継をしたからこそ、家族への恩返しの時間も確保でき、また新たな起業にも挑戦できる機会を得られたのだと感じます。

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