icon-sns-youtube icon-sns-facebook icon-sns-twitter icon-sns-instagram icon-sns-line icon-sns-tiktok icon-sns-etc
SEARCH

プレス技術 連載「モノづくり革新の旗手たち」

2025.07.16

高度な精密金型技術を武器に金属セパレータの製造技術を強化 燃料電池技術の発展に貢献する―ニシムラ

  • facebook
  • twitter
  • LINE

㈱ニシムラ 代表取締役社長
木下 学氏

 愛知県豊田市に本拠地を置くニシムラは1965 年に創業の精密金型メーカー。精密部品製造からスタートした同社は、金型事業に参入後、自動車用精密金型の製造で急成長を遂げてきた。さらに近年は燃料電池用の金属セパレータ事業を立ち上げ、軌道に乗せるなど着実に次代に向けた実績を積んできている。三代目社長の木下学氏に金属セパレータ事業立ち上げのいきさつと、同事業にかける想いを聞いた。

金型技術で地球環境の保全に貢献する

『プレス技術』編集部

現在、主力となっている事業は。

木下

精密金型の製造・販売している「売り型事業」と、電子部品を中心とした「量産事業」、燃料電池用の「金属セパレータ試作」の3 つが当社の三本柱となる事業です。産業的には自動車向けがほぼすべてですが、燃料電池用の金属製セパレータは自動車以外にも使われています。売上げ的には売り型事業がもっとも多いですが、今後は金属セパレータ事業の割合を増やしていきたいと考えています。時代の流れで、金型の仕事が減るのならば違うもので稼ぎたいという考えです。
精密金型部品

精密金型部品

金属セパレータとはどんな部品ですか。

燃料電池内で水素ガスと酸素ガスとを隔てる薄板部品であり、水素ガスを流す流路が成形されているのが特徴です。燃料電池は1960 年代に米国の宇宙船に搭載されたのが最初です。溝が付いていて、そこに水素を流すというのは現代の自動車用と同様ですが、セパレータの材質が異なり、当時は金属ではなくカーボンやセラミックでした。今、当社が作っているのはステンレスもしくは純チタン製。部材が腐食しやすい環境のため耐食性に優れた材料を使います。
チタンの方が錆びないのですが材料費がステンレスの数倍となるため、そこはお客様の要望次第となります。ブランクを取って、成形して最後にトリムをするという工程となりますが、精度を出すためにそれぞれ別のプレス機で加工します。板厚はいずれも0.1mm ~0.15mm ほどです。
セパレータ用金型

セパレータ用金型

セパレータ部品を手掛けたきっかけは。

お客様から試作を打診されたのがきっかけです。2000 年頃、今から24 年前です。当時はハイブリッド車(HV)が売れに売れていた時代。そうしたなか、自動車メーカーが燃料電池車(FCV)の開発を始めるのでセパレータ加工用の金型を作ってくれないかという引き合いをいただきました。調べてみると、部品の製作には精密なプレス金型が必要となるため、自分たちの技術が活きてくることがわかり、チャレンジすることを決めました。現在、セパレータ開発に関わっているのは普段は型設計をやっている部隊で6 名ほど。それに加えて、私自身もセパレータ開発に関わり設計もしています。

ここまでの手応えは。

当初は自動車(四輪)メーカーだけかと思っていましたが、実際には二輪車もあれば、航空機や造船メーカーからも試作の引き合いをいただいています。さらに海外からの引き合いも増えていますのでセパレータ事業はずっと忙しい状況です。地球環境への対応もあり、今後さらに化石燃料を利用している輸送機器や産業機器が急ピッチでバッテリーや燃料電池に置き換わっていくと見ています。その中には少なからずセパレータが使われるものが出てきますので、当社の出番が増えるのではないかと期待しています。

高付加価値のモノづくりを目指したい

創業のいきさつは。

祖父(西村 修氏)が1965 年に設立したのが当社です。商社を経営していた祖父が品物を仕入れて売るだけではなく、自身で作った方が確実に儲かるのではないかと製造業を志すようになったと聞いています。当初は「ゲージ」を製造していました。ゲージとは例えばプレス曲げの角度が狙い通りに収まっているかを簡単に確認するための検査治具です。しばらくそれをメインに様々な工具や治具を作っていました。

金型製造を始めたきっかけは。

NC 加工で精密ゲージを作ろうとワイヤ放電加工機を導入したのがきっかけです。創業から10 年ほど経った1975 年頃のことです。当時、ワイヤ放電加工機を保有している会社はほとんどなく、当社が入れたということが噂になり周辺から精密加工の注文が殺到するようになりました。その中で特に多かったのが金型製造の引き合い。この頃はまだ新車がバンバン出ていましたので金型の需要も山ほどあった時代です。
二代目の父親(現会長木下富夫氏)などは会社に泊まり込んで仕事をしていたので、小さい頃は父親がいない家だと思っていました。ですが、そのお陰で当社は大きく成長、当社のメイン事業は精密部品から精密金型へと一気に変わっていきました。作っていた金型は、エンジンの中に入っている歯車を成形する金型や、トランスミッションに入る部品を成形する金型など小さなモノが多かったです。プレス金型のほか冷間鍛造型や焼結型、さらにはFB 用型など様々な金型を作ってきました。

ご自身の入社のいきさつは。

卒業後、すぐにこの世界に飛び込みました。モノを作るのが好きだったこともあり、子供の頃から自分も後を継ぐのかなと思っていました。ところが、いざ入社してみると製造業については素人も同然。そこで入社後しばらくして大手の工作機械やプレス加工、また自動車部品メーカーなどお客様の現場への出向というかたちで修行をさせていただきました。機械加工から金型設計まで足掛け7 年間、様々な知識や技術を学び、再び会社に戻ってきたのは28 歳になってからでした。戻ってからは現場での加工はもちろん、プログラムを作ったり、治具設計などもしていました。

当時の会社の状況は。

とにかく忙しく、寝る間を惜しんで金型を作っていたので先のことを考える余裕はありませんでした。そんな時セパレータの引き合いをいただき、付加価値の高いモノづくりができるチャンスだと思いました。お客様からいただいた図面どおりの金型を製造するだけでなく、開発・設計までを引き受けることで付加価値が付くはずですし、プレスまでやればその分加工費もいただけます。そうすれば会社ももう少し余裕のある運営ができると考えたからです。創業以来、製造に特化した会社でしたのでレパートリーが増えれば、その分苦労も増えるのはわかっていましたが、それでも仕事の幅を広げていこうと思いました。
金型メンテナンス

金型メンテナンス

42 件
〈 1 / 2 〉

関連記事