プレス技術 連載「世界のなかの日本、日本のなかの世界」
2026.04.15
第16回 「赤ガエル入りカレー」が教える歴史
帝京大学 平田 好
ひらた よしみ:外国語学部長 兼 日本語教育センター長。早稲田大学卒業後、1995 年からベトナムを皮切りに世界各国で日本語教育に携わる。2021 年より帝京大学教授。2022 年より日本語教育センター長、2025 年より現職。修士(国際関係学、2000 年早稲田大学)。
カレーライスが「日本の国民食」と呼ばれて久しくなりました。インド発祥のカレーが明治時代にイギリス経由で伝わり、独自の進化を遂げて現在の形になったことは、多くの方がご存じでしょう。留学生にとってもカレーライスはなじみのある料理です。しかし、その歴史を知る留学生はほとんどいません。
筆者は日本語教育科目だけではなく、日本の近現代史を初年次の留学生に教える教養科目も担当しています。日本の高校を経て大学に入学すれば、高校の必修科目である「歴史総合」で、日本の近現代史の基礎を身に付けているはずです。しかし、留学生の多くは日本史を体系的に学んでいません。そこで、現在の日本に至るまでの歴史的過程を学ぶ機会を提供しています。
ちなみに歴史総合は、2022 年度の学習指導要領改訂によって新設された科目です。近現代の日本と世界の歴史を多角的な視野から捉え、現代の課題につながる背景を考察する力を育成することが目的とされています。
料理を手がかりに歴史を考える
筆者が担当する授業では、留学生向けに作成された日本史の教科書を用いながら、適宜、参考書やインターネット上で視聴できる教材も紹介しています。近現代史を学ぶ際、日本側の視点だけでは一方的になりがちです。留学生が出身国で学んできた歴史と照らし合わせたり、国や地域のつながりを意識したりすることでより立体的な理解が可能になります。そこで2025 年度は、授業や課題の一部に歴史総合の教材を取り入れました。
留学生たちに紹介したのは、NHK の学習番組である高校講座・歴史総合の第1 回です。テーマは「なぜ歴史総合なのか」。一見すると堅い印象を受けますが、グローバル・レストラン「こんぺいとう」を舞台に、料理を手がかりとして歴史を考える構成になっています。
番組の冒頭で登場するのが、「赤ガエル入りカレーライス」です。現代のカレーライスには、牛や豚、鶏などの肉、ニンジンやジャガイモ、タマネギが使われていますが、明治初期のカレーには、具材として赤ガエルと葱が用いられていたことが紹介されます。そこから番組は、「近代化」、「大衆化」、「グローバル化」という3 つの視点を軸に、カレーライスの変遷をたどっていきます。
「当たり前」の背後にあるもの
授業の第1 回で学生に課したのは、この動画を自宅で視聴し、感想文を書くという課題でした。学生全員がまず赤ガエル入りカレーライスに衝撃を受けたことは言うまでもありませんが、カレーライスという身近な存在から歴史を考察する手法を新鮮に感じたようでした。
モンゴル出身の学生は、「歴史というのは、国々の政治や経済の出来事を学ぶものだと思っていたが、料理や美術、文化とも深く関係していることを改めて認識した」と書いてきました。日本でも歴史を暗記科目と捉え、苦手意識をもつ人は少なくありませんが、それは他国でも同様のようです。
中国出身の学生は、「自分にとって当たり前の家庭料理だったカレーライスが、日本では明治時代に軍隊食として広まったことを知り、とても驚いた。身近なものの見え方が変わった」と述べ、中国でカレーが家庭料理として定着していった経緯についても調べてみたいと記していました。
さらに、「日常の中で当然だと思っている習慣や物事の多くが、過去の交流や歴史の中で形づくられてきたのだと気づいた」という感想を読み、この課題の狙いが学生に伝わったことに安堵しました。
日本の伝統文化について留学生が発表
大学では、1 学期15 回の授業に加え、授業外での学習活動も重視しています。上記の課題もその一環であり、学期後半に行う口頭発表へとつながっています。学生はそれぞれ「日本の伝統文化」と考えるテーマを1 つ選び、調査・発表を行います。あえて「伝統文化」という言葉を用いていますが、その「伝統」とは何を指すのかを考えることもこの課題の重要な狙いです。
発表では、近代化、大衆化、グローバル化という3 つの視点からテーマを整理し、スライドにまとめて約5 分間の発表を行いました。テーマは、「抹茶味」の広がり、中国発祥の「ようかん」、漫画や現代演劇の要素を取り入れ続ける「歌舞伎」、寄席芸能からテレビやYouTube へと場を広げた「漫才」、アニメの影響が大きい「忍者」、さらには「花火」、「温泉」、「浮世絵」など多岐にわたりました。
限られた時間での調査発表のため、情報が十分でなかったり、一部に誤解が見られたりする点もありましたが、どの発表も興味深いものでした。クラスメイトの発表に耳を傾け、活発に質問を投げかける学生たちの姿から、筆者自身も多くを学びました。
「伝統に反する」は本当か?
留学生の発表を聞いていると、日本の伝統文化だと思われている多くのものが、実は近代に成立したものであったり、国境を越えた交流の中で形づくられてきたものであったりすることに改めて気づかされます。伝統という言葉はごく自然に使われていますが、歴史的に見れば固定されたものではありません。何が残され、何が新しく取り入れられてきたのかをたどることで現在の姿が見えてきます。
例えば、選択的夫婦別姓に反対する理由として「日本の伝統に反するから」という意見が挙げられることがあります。しかし、夫婦同姓が制度として定められたのは1898 年、明治期の民法制定以降のことです。江戸時代には夫婦別姓が一般的でした。私たちが「昔からある」と思い込んでいる制度の中にも、近代以降に形づくられたものは少なくありません。
明治初期のカレーライスに赤ガエルが入っていたという事実は、身近な食べ物でさえ近代化、大衆化、グローバル化の過程を経て現在の姿になっていることを示しています。料理から文化、さらには社会制度に至るまで、「当たり前」を歴史の視点で問い直すこと。その視点を獲得することこそが、留学生に日本の近現代史を学んでもらう意義なのだと、改めて感じています。