icon-sns-youtube icon-sns-facebook icon-sns-twitter icon-sns-instagram icon-sns-line icon-sns-tiktok icon-sns-etc
SEARCH

機械技術 巻頭インタビュー「独自技術で光る日本の機械加工現場」

2024.10.18

ニーズに柔軟・適切に対応、 30 年後も成長している企業へ

  • facebook
  • twitter
  • LINE

㈱トーカロイホールディングス 代表取締役社長
松本秀彦氏

Interviewer
オーエスジー㈱ 今泉英明

松本秀彦代表取締役社長

松本秀彦代表取締役社長

 機械部品の製造と超硬合金の配合・焼結を手掛ける㈱トーカロイホールディングス(岡山県津山市)。事業会社の1 つである㈱トーカロイMTG(同)は、前身の㈱本山合金製作所(同)の創業時から製造技術の蓄積や新規顧客の開拓で手堅く事業を展開してきた。トーカロイHD は、2022年に同様の事業領域をもつ愛知県瀬戸市の東海合金工業㈱(現㈱トーカロイTGK)などをともに事業会社にし、技術の活用や人材育成で連携して次の成長を目指す。松本秀彦社長に戦略を聞いた。

顧客ニーズに柔軟・適切に対応、人材育成も進める

今泉

ホールディングス(HD)化の経緯と狙いは。

松本

当社の場合、特徴的なこととして最初に理解しておいていただきたいことがあります。HD化される前の各事業会社の経営者は実の兄弟であるということです。私は「30 年後も成長している企業」という目標をもってこれまで企業を経営してきました。30 年後も成長しているというのは、現在の20 代や30 代の社員が30 年後も安心して働けて、安定した経済力を得られるということです。この目的・目標を満たすために自分の身の回りのリソースで何ができるかを考えたとき、「HD 化」という考えに至りました。兄弟で同様の事業を手掛ける会社を経営しているのなら、互いの技術を補完・活用し、人材育成も連携すれば、効率化しながら、生産量を拡大したり、納期の対応力を高めることができると考えたのです。分散していた部門を統一することで指示命令系統を一本化し、マーケットに合わせて製販を分離することでニーズに対して柔軟で適切に対応することが狙いです。

今泉

HD を構成する事業会社については。

松本

トーカロイTGK(TGK)とトーカロイMTG(MTG)という2 つの製造会社に、販売会社であるトーカロイの3 つの事業会社で構成しています。私はMTG の出身で、ここは本山合金製作所(本山合金)と東海合金製作所という2 社が合わさり設立されました。本山合金は超硬合金製の金型や機械の部品、産業機械用のスプレーノズルを製造する精密加工業で、東海合金製作所は超硬合金の開発・配合・焼結を手掛ける会社です。両社とも創業者は父・嘉輝で私は2 代目です。
もう1 つの事業会社であるTGK の旧社名は東海合金工業で、愛知県瀬戸市で機械部品の製造と超硬合金の開発・配合・焼結を手掛け、私の実の兄・優造が経営していました。この2 つの会社と販社機能をもつトーカロイが事業会社となり、持ち株会社として、トーカロイホールディングスを設立したのです。兄も私もそれぞれ、歴史と取引先がある企業を手堅く経営してきたのですが、効率化や人材育成などの取組みを兄が評価してくれたので社長は私が務めることになったのです。

今泉

出身の本山合金と東海合金製作所の強みは。

松本

本山合金は超硬合金をはじめ、さまざまな材質を加工できる知見を、東海合金製作所は素材の知見を有することが特徴で、強みとして事業を展開してきました。本山合金では新しい技術の導入・活用や確立に積極的に取り組み、5 軸マシニングセンタ(MC)の早期導入や超硬合金の直彫り加工、そして金型設計から組立て技術など独自技術につながりそうなことに挑戦してきました。東海合金製作所では超硬合金の安定した品質に加えて、使用用途に特化した材料の開発を進めました。
本山合金と東海合金製作所は、父が東海合金工業から独立して創業したメーカーで機械加工業としては後発です。東海合金工業から加工技術や営業など援助もありましたが、自分たちで加工技術を確立・蓄積し営業活動を行ってきました。顧客を開拓するのは苦労したと思いますが、そのぶん自立した意識をもち、たくましさは養われていたと思います。

現場に経営に関する数字の理解を促す

今泉

社長が掲げた「30 年後も成長」とその定義となる具体的な目標が素晴らしいですね。

松本

私は基本的に「物事を良くしたい」という思いをもっていました。しかし、家業の金属加工業を継ぐということはそんなに深く考えていませんでした。大学卒業後はいったん就職して、建築資材を扱う商社で会社員を経て、アメリカへ留学し、経営学修士(MBA)を取得しました。その後、家業へ入りました。後発の加工業として意欲的だった一方で、いわゆる「どんぶり勘定」な昔の中小企業のような前近代的な体質もありました。私はもっと良くしたいという思いをもっていたので改革しようと思っていました。しかし、やっぱり現場とその思いを共有するのは難しかったですね。「工作機械を操作できない、削れないやつは物を言うな」といった具合です。

今泉

現場の気持ちもわからなくもないです。

松本

だから、私は「削れるようになったら物を言っていいんですね」と考え、現場で機械操作を覚えました。現場は楽しかったですよ。朝は最初に出社して夜は最後に帰りました。そうした生活を数年休みなく続けました。ただ、楽しいと思いながらも、現場で戦力になるレベルに到達するには時間がかかります。機械加工のセンスがないことは自覚できました。でも、入社当時に言われた「削れないやつ」ではなくなりました。
その後、経営に関する分析を行い、現場になんとか話を聞いてもらおうと努力しました。1 人ひとりに数字を意識してもらうことが必要だと思いました。徐々に話を聞いてもらえる雰囲気になり、「伝票はすべて私に回してください」と伝えて、受注金額や加工時間、不良率などあらゆる数値を集めて、表計算ソフトで算定し、部門別の損益計算書を作成して示しました。現場は売上げに関してはイメージを湧かせることができるのですが、利益率という少し踏み込んだことには意識が希薄でした。だから私は自分たちのやった仕事がどうすれば利益につながるのか、付加価値生産性を高めるように意識してもらいました。現場の課題や問題は現場から導かれた答えが最適解です。ここから少しずつ、管理会計システムの整備が始まり、社内の雰囲気が変わり始めた気がします。

今泉

現場の技能者に経営的な意識をもってもらうことは大変だったと思います。

松本

コミュニケーションを心がけるようにしました。すると、いろいろな情報が得られるようになり、そうしたデータを基に、1 人1 時間当たりの加工高を生産性として示しました。これらの結果、粗利益や付加価値の労働分配率などが見えるようになってきました。そしてこうした情報の社内におけるオープン化を行いました。それからの管理職の成長は目を見張るものがありました。営業利益と経常利益を計算できるようになり、予算策定と設備投資、人員計画などを戦略的に行う仕組みづくりの準備が進みました。

今泉

一気に近代化しましたね。

松本

次のフェーズに向かえたきっかけは、目標管理制度を導入したことです。「ボトムアップシート」と呼ぶ目標設定・管理のひな形を活用する取組みです。上司から提示された目標を自らの目的として受容し、その目的を実現するために自らが具体的な目標項目を設定します。上司と相談しながら、評価ウェイトや評価基準、難易度、具体的な時期を示す行動計画を作成します。月次で進捗状況の確認と振り返り、3 カ月ごとに中期レビューを行い、実績や達成状況、自己評価と上司による評価を行います。

方向性を共有して意欲を引き出す仕組みを構築

今泉

全社員がやるべきことに向かうための方法は。

松本

権限委譲と動機付けだと思います。与えられた目標でなく、自分で考えた目標の方がやる気が出るはずです。このことを常に経営者と管理職は認識しておく必要があります。目標管理を導入し、人材育成に意識が向いてきた効果だと自己評価していますが、若手社員の成長を最近、実感しています。たとえば、入社5 年程度の社員が自ら考え、当社ならではの技術を盛り込んだ加工サンプルを製作してくれたことが印象に残っています。若手の成長は何よりも励みになります。

今泉

今後は。

松本

MTG とTGK、トーカロイの強みを引き出すことです。MTG は東北から南九州までの市場で複数の業界に対して製品およびサービスを提供していました。一方、TGK は主に中部地区の市場で自動車・自動車部品業界に対して提供してきました。それぞれに得手不得手があり、同じような設備を利用しても物事に対する考え方や進め方、その結果は違います。ルールはすぐに書き換えられても文化や習慣は簡単には変えられません。HD 化で期待することの1 つが、補完し、高め合いながら新しい化学反応を起こすことです。まだまだ私たちには課題があり、乗り越えるべき壁は多くあります。でも、少しずつですがそれぞれが「当たり前」と考えていたものが崩れ始めています。唯一だと考えていたものが手段の1 つになり始めています。
改善するべき点が見えたことは明るい材料です。押しつけではなく、客観的な基準を示して、やるべきこと、目指すことを共有して、うまく機能する仕組みを構築して、意欲を引き出したいと考えています。
まつもと ひでひこ/1964 年生まれ、60 歳。神戸市東灘区出身。大学卒業後、建築資材を扱う商社とアメリカ留学を経て、91 年に本山合金製作所に入社。2006 年に同社社長に就任。趣味はゴルフ。最近、愛犬の看病を通じて命について考えさせられた。


いまいずみ ひであき/1957 年愛知県出身。1980 年大阪工業大学卒業後、オーエスジー㈱入社。エンドミルやドリルの設計、開発に長年携わる。特殊工具の打合せや使用状況確認のために国内外多数の切削加工現場を訪問した経験をもつ。著書に「目利きが教えるエンドミル使いこなしの基本」(日刊工業新聞社)。