3.ガソリン自動車の登場
18 世紀末の蒸気自動車から100 年後の19 世紀末には電気自動車が伸びてきたが、その頃ドイツのオットーによって蒸気機関の火室とボイラーを小さな気筒(シリンダー)に置き換えるという発想の「内燃機関」方式が試みられていて、1876年四サイクル・ガスエンジンが製作された。内燃機関も、原理的には蒸気機関の発展形だが、発想の転換としては独創的と評価できる。
内燃機関については表2 にあるように、1807 年にフランスのニエプス、スイスのリヴァの発明がある。リヴァは水素エンジン自動車も製作したとあるが、ほとんど注目されなかった。オットーがこれらの発明を参考にしたかどうかはわからない。
1883 年にはオットーの会社に勤めていたダイムラーがガソリンを燃料とする四サイクル・ガソリンエンジンを開発、1886 年にはガソリンエンジンの「四輪自動車」を製作した。同時期にオットーエンジンを使った自動車の製造に着手していたドイツのベンツが、1885 年に「ガソリンエンジンを搭載した三輪車」を製作、1886 年に特許を取得した。これが、「車体から設計された世界初の本格的なガソリン自動車」として認定されている。特許の取得は重要である。このダイムラーとベンツによる一連の開発こそ“発明”であり、最初の自動車発明と評価してよい。この世界初の自動車をメルセデス・ベンツ博物館で見たが(写真1)、当時からかさば歯車などのギヤ類が巧みに使われていたことを認識した。
4.T 型フォード(ガソリン車)の登場
フォード(1863 ~ 1947 年)は、28 歳のときにエジソン電気照明会社に就職、発電用蒸気エンジンの維持管理の仕事をしていた。発明王として知られるエジソン(1847 ~ 1931 年)が創設したエジソン電気照明会社は、今日世界最大の総合電機メーカーであるGE 社の前身である。フォードは勤めながら、自宅裏の作業場でガソリン車の開発に取り組み、1896 年には「Ford Quadricycle」と名付けた四輪ガソリン車を製作した。
この年、エジソン電気照明会社の電気技術者と重役が集まる会議がニューヨーク・マンハッタンであり、会議後の宴会にフォードは幸運にもデトロイトから参加することができた。宴会で、電気自動車と蓄電用バッテリーについて議論されていたとき、フォードの上司が「この若者はガソリン車を製作している」と紹介し、会議参加者に加えてエジソンもフォードに質問攻めをした。そして、エジソンは「頑張りなさい」とフォードを励まし、翌日にはフォードを誘って同じ列車でデトロイトに戻っている。こういう出会いが歴史を変えていく。また、こういう出会いを活かせるかどうかで、人の運命も変わってくる。
フォードは初めてエジソンと話す機会を得て、自らのガソリン車について説明し、エジソンから激励されたことで自信を得た。1899 年に独立してデトロイト自動車を設立、1903 年にはフォード・モータ・カンパニーを設立して、1908 年に大衆市場向け乗用車の「T 型フォード」を発売した。
一方、エジソンはフォードを励ましたものの、自身は電気自動車にこそ将来性があると見込んでいた。1895 年には三輪電気自動車を製作しており、バッテリーが弱点であることに気付いていた。その後は、自動車用の充電式バッテリー開発に心血を注ぎ、ようやく納得いくバッテリーが完成したのは1909 年であった。T 型フォード発売より1 年遅れた。
5. ガソリン自動車が電気自動車を駆逐
表3 に自動車の変遷をまとめた。自動車の黎明期の19 世紀末には、蒸気自動車、電気自動車、ガソリン自動車が混在し、生き残ったのがガソリン自動車であった。電気自動車はガソリン自動車に比べて静かで、環境面で優れていたが、1908 年のT 型フォードの量産による低価格に勝てなかった。T 型フォードは、その量産方式にも注目すべきであるが、自動車を「富裕層の玩具」から「庶民の道具」とすることを目指した点に注目すべきである。そのために、装飾品や新技術をてんこ盛りにするのを止め、引き算に徹し、構成部品点数を従来比で2/3 以下に減らした。
環境が大きな社会問題ではなかった時代に、大衆車として先に成功したエンジン車は、バッテリー開発に手間取る電気自動車を抑えて優位に立ち、そのまま20 世紀末まで自動車と言えばエンジン車として君臨してきた。エジソンの思いはフォードによって絶たれたことになる。
もう一点皮肉なことは、エジソンの電球の発明によって、灯油として使われていた石油の需要が減り、替わってガソリンやディーゼルのエンジン用としての石油利用が求められ、石油会社がエンジン車普及の後押しをしたと思われる点だ。今のように、19 世紀末に環境問題が重要視されていたら、ガソリン自動車ではなく電気自動車が生き残ったかも知れない。
ある技術が勝ち残るには、技術的要因と社会的要因がマッチしなければならない。19 世紀末からガソリン車が勝ち残ったのは、量産技術の革新と富裕層でなくても自動車をもちたいという社会要請、石油会社からの要請がマッチしたためだった。
6.自動車の未来予想
今は、社会要請としてCO2 排出削減があり、それに応えられる技術が模索されている。その結果、自動車としてはガソリン車が排除され、電気自動車のバッテリー開発に力が入れられている。CO2 排出削減であれば、合成燃料によるエンジン車や水素エンジン車でもいいはずだが、世界の潮流はBEV 開発である。それには、中国やドイツの自動車メーカーの思惑があった。しかし、バッテリー開発が車載用には納得いくレベルに達しない。20 世紀初め、エジソンの苦労が徒労となったように、納得のいく車載用バッテリー開発の前に水素エンジンなどの開発が進み量産化されれば、電気自動車は21 世紀も消えてゆく運命となる。
自動車の普及には、そのためのインフラ普及が必須であると述べた。水素メーカーや水素利用の大企業が出てきて、水素エンジン車普及への後押しをすれば、20 世紀がガソリン車社会になったように、21 世紀は水素エンジン車社会になるかもしれない。日本ではトヨタ自動車が水素開発に力を入れていることに注目である。
また、本原稿執筆時に、京都大学の北川進氏が「金属有機構造体の開発」で2025 年のノーベル化学賞を受賞することが発表された。金属有機構造体(Metal︲Organic Framework;MOF)は、気体などの分離、回収、貯蔵を効率化できる技術で、CO2 の回収に適用できるとして、ガソリン車などの脱炭素に効果が期待される。水素の貯蔵に役立てば、水素エンジン車への水素燃料搭載への効果も期待される。表1 で期待値も入れた自動車の未来予測をしたが、今回のMOF のノーベル化学賞受賞のような出来事が、予想外に次世代自動車開発に影響を及ぼしてくる。表1 は極端な予測と受け取られるかもしれないが、時代はそのように向かっていると筆者は感じている。
北川氏の京都大学工学部石油化学科の先輩にあたる吉野彰氏が2019 年に「リチウムイオン二次電池の開発」でノーベル化学賞を受賞しており、それを機に電気自動車でのリチウムイオン電池利用が注目された。6 年後の今、北川氏のMOF に注目が集まることは、ガソリン車のCO2 削減や水素エンジン車の開発が進むことにつながり、このようなタイミングでの技術要因への影響は大きい。表1 の予測の実現をおおいに期待したい。