試作金型の設計製作やその金型を使ったプレス加工を手がけるユーメック(横浜市港南区)。創業以来培った設計力を活かし、厚さ0.06mm のコルソン合金を素材に桟幅0.09mm、ピッチ0.35mmのコネクターを成形するといった超精密な順送金型を得意とする。同社の特徴は基本的に型売りをせず、試作金型に特化している点。より難しい金型の開発に挑戦し続けることで、自社の技術力を高めつつ顧客の信頼を獲得している。
――事業概要を教えてください。
眞田
コネクター向け試作金型の設計製作を主に手がけています。大手コネクターメーカーの考案した製品が「実際に順送金型で成形できるかどうか」を実証するのが大きな役目の一つです。
当社が試作金型をつくって金型で成形できることを証明し、各種データやスケルトンなどの資料を提供します。その資料を参考にメーカー側で金型をつくり量産が始まります。したがって、当社では型売りはほとんどしていませんが、メーカー側で量産用の金型を新たにつくるほど需要のない製品については、当社が試作金型を使って量産まで行うケースもあります。ワイヤ放電加工機や平面研削盤といった金型加工用の設備に加え、25t、35t、60t のプレス機械を保有しています。
量産向けから試作金型へ業態転換
――試作金型に特化しているのは以前からですか。
眞田
いいえ、以前は量産向けの型売りや自社でつくった金型による量産を手がけていました。携帯電話のコネクターが主力だったので相当数を生産し、増員やプレス機械の増設もできました。ただ、2001 年のIT バブル崩壊で状況が変わります。大手メーカーが携帯電話からどんどん撤退し、いったんはもち直したものの、以前の勢いがなくなっていきました。
大手メーカーが新機種開発に熱心でなくなり、新規の案件が入ってこない。「携帯電話の時代は終わりだ」と思いました。そんなときに、今の主要顧客である大手コネクターメーカーから厚さ0.06mm や0.08mm といった薄板のプレス加工ができないかと問合せがあったのです。おそらくスマートフォン向けのコネクターだったのでしょう。携帯電話がダメならやってみようかと思ったのが最初です。
――そのあたりから業態を転換した。
眞田
ええ。当時は厚さ0.1mm 以下の薄板のプレス加工は困難と言われていました。実際に、ここまで薄いと金型内で送ろうとしても、加工油にくっついてうまく送れない。切ったり曲げたりが可能かどうかもわからない状態でした。しかも、携帯電話のコネクターはまだ手でつまめる大きさでしたが、0.06mm の薄板でつくるコネクターは目で見えるか見えないかのサイズです。顧客からは狭ピッチも求められるようになり、どんどん加工の難易度が上がっていきました。何もかもうまくいかず苦労しましたが、おもしろい時代でした。
同社が設計製作した順送金型から生み出されたコネクターの例。材料のコルソン合金は硬く、ばね性が強いため金型の刃もちが悪い。狭ピッチ化も進み成形の難易度は高まっている(写真提供:コーメック)
――経営者としては冒険だったのでは?
眞田
確かに。でも、これをやらないと将来、金型屋として存続できないのではという危機感がありました。顧客から情報やヒントをいただいて、試行錯誤しながらなんとか課題を解決していきました。現在では、厚さ0.05mm のコルソン合金材で高さ0.22mm、幅0.29mm のばね形状の極小スマートフォン用コネクターも成形できます。顧客にも喜んでもらえ、試作金型とそれを使ったプレス加工で売上げの8 割を占めるまでになりました。
――難易度の高い薄板のプレス加工を可能にするポイントは?
眞田
一番は金型の設計力だと思います。設計者の経験が大きく物を言います。当社はカーリング(カール曲げ)が得意で、テレビやパソコンのコネクターを手がけていた時代からカーリング技術を磨いてきました。狙った精度を出すための丸める角度や順番、スプリングバックの抑え方などに長年の知見があり、スマートフォンのコネクターでも活かされています。設計する人の姿勢も大事ですね。似た形状のコネクターだからといって過去の金型設計をそのまま流用するのではなく、積極的に変えてみる。常に改善する姿勢をもった設計者がいるかいないかで、その金型屋の実力が決まります。
――設計後の金型製作で重要なのは?
眞田
すべての構成部品を正確につくった金型からは、やはり精度の高い成形品が出来上がってきます。ですから、個々の金型部品をいかに正確につくれるかがポイントです。当社では金型部品の寸法精度は基本的にゼロ狙いでつくっており、そのためにφ0.05mm の極細ワイヤ電極を使った放電加工を活用しています。金型部品の精度を担保するためには、加工しやすいことも重要なので、設計者には「加工しやすい部品で金型を設計できるか」も要求されます。
ワイヤ放電加工機や平面研削盤など金型製作設備を保有
――設計力と加工技術が揃うことで可能になった。
眞田
それだけではありません。金型の組付け担当やプレス機械のオペレーターの技術も大事です。社員一人ひとりがそれぞれのテクニックを駆使して工夫しながら仕事に向き合ってくれています。また、顧客の協力も欠かせません。われわれが仕事をしやすいデータ供給方式を考えてくれたり、得意な仕事を任せてくれたり、ときには不得意な仕事を回すことで技術力のアップを促してくれたり。今、当社の事業が順調であるのは顧客の協力あってこそだと考えています。
独自マニュアルで品質管理
――品質管理にも力を入れているそうですね。
眞田
当社の強みの一つです。2006 年に品質マネジメントシステムに関する国際規格ISO 9001を取得したのを皮切りに、2008 年に環境マネジメントシステムに関する国際規格ISO 14001 を取得しました。さらに、2015 年の規格改訂を機に品質と環境に関する社内マニュアルを見直し、写真や図をふんだんに使って誰が読んでもわかるものに改めています。品質であれば不良やクレームが発生したときの記録方法、不良対策などが一目でわかり、ISO の認証機関の方からも「わかりやすくてユニーク」と好評です。
――ISO を取得するのは大変だったのでは?
眞田
ええ。当社のような規模の会社にはハードルが高く、何から始めればいいかもわかりませんでした。そこで、当社に出入りしていた大手OA機器メーカーの営業担当者に相談しました。「付き合いのあるコンサルタントを紹介してほしい」くらいの気持ちだったのですが、ありがたいことに、そのメーカー直々に社員を派遣して1 年間、月1 回の勉強会を開いてくれることになりました。
社員みんなで参加して、1 年後に無事にISO 9001を取得できました。自信がついてISO 14001 も取得し、社内の仕事への取組み方も変わり、不良も減っていきました。以前はクレームが発生すると顧客の監査が入り多くの時間を費やしたのですが、ISO 取得後はそうしたクレームなどのトラブルも減り、顧客の当社への信頼感が高まったと実感しています。
職人に囲まれた金型修業時代
――少し話題を変えて、眞田社長が金型業界に入ったきっかけを聞かせてください。
眞田
私は上智大学理工学部で化学を専攻し、卒業後はスポーツ用品メーカーのミズノに就職しました。野球場や陸上競技場などの体育施設をつくる部門に配属され、大学で学んだゴム系素材の知識を活かして働いていました。
ミズノを辞めた後、アルバイトのつもりで入ったのが日吉(横浜市港北区)にあるプレス金型屋でした。25 歳くらいだったでしょうか。いわゆる「一人親方」と呼ばれる職人さんが何人もいる会社で、1 人が1 型を担当し設計から部品加工、組付け、トライまですべてこなします。私は当時、導入されたばかりだったNC ワイヤ放電加工機やCAD を任され、それらを使った金型づくりの技術を身につけていきました。勘・コツで金型をつくる職人さんに素人の自分が対抗するには、再現性のある方法を確立する必要があったのです。
「プレス技術」や山口文雄先生の本で勉強もしました。家電の接点やコネクター、自動車のターミナル部品などばね形状の部品を成形する順送金型をつくっていましたね。カーリング技術を身につけたのもこの会社です。
――その後、独立を?
眞田
10 年ほど働いた後、1991 年に横浜市港南区でユーメックを立ち上げました。自宅を事務所にし、埼玉県川越市の金型屋に間借りして順送金型の設計製作を始めます。しばらくして、廃業した金型屋の加工設備一式を買い、1997 年に横浜市港北区に工場を移転しました。円高で顧客の海外生産が進んでしまい、仕事が少なく経営的には厳しい時代でした。その後、携帯電話のコネクターや電源パッドの部品などの試作の仕事が入るようになり、足踏みプレス(通称けとばし)を使った試作品製造でかなりの利益を上げます。やがて、試作品製造から量産向けの金型設計製作とプレス加工に業態を変更し、その後の試作金型への転換はお話ししたとおりです。
――時代に合わせて業態を変えてきた。今後は?
眞田
スマートフォンや車載向けといった今やっている仕事とは別の分野に挑戦したい気持ちはあります。微細な部品ができるのだから、体内に入れる医療機器関連で何かできないか、とか。AI技術の進展にも注目しています。今はスマートフォン全盛ですが、AI 技術が進めば新しい製品が生まれるはず。アンテナを張って、顧客にも「おもしろい仕事があればやらせてほしい」と常日頃から伝えるようにしています。
――課題はありますか。
眞田
いい人材は十分育っているのですが、やはりもっと技術者を増やしたいですね。同じ人間がつくっているとどうしても考えが固まってしまい、新しい発想が出てこなくなります。難しい仕事がきたときも、「できません」と答えてしまう。新人を入れて社内を活性化していきたいです。
――これからどんな会社を目指しますか。
眞田
私自身は次のステージを見据え、新たな展望をもちながら次にバトンをつなぐことを考えています。次の代の人には、技術力に胡坐をかくことなく、チャレンジ精神をもって仕事に取り組んでほしいですね。当社は試作金型という難しい仕事をやるチャンスに恵まれています。できるのかどうかわからない案件でも、やってみればいい。「こんなものがつくれるんだ!」と自分たちでも驚くようなものを、生み出していってほしいと思います。
さなだ ゆうじ:1957年8月20日生まれ、68歳。スポーツ用品メーカー勤務を経て金型の世界に入る。91年ユーメック設立。高校から続けるフェンシングは、ベテラン選手対象の世界大会に11 回出場するほどの腕前をもつ。