型技術 連載「外国人材から一目置かれるコミュ力養成講座」
2025.01.14
第4回 そもそも論に固執する日本人②
ロジカル・エンジニアリング 小田 淳
おだ あつし:代表。元ソニーのプロジェクタなどの機構設計者。退職後は自社オリジナル製品化の支援と、中国駐在経験から中国モノづくりを支援する。「日経ものづくり」へコラム執筆、『中国工場トラブル回避術』(日経BP)を出版。研修、執筆、コンサルタントを行う。
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先回の連載では、日本人が「そもそも、べき、すじ論」に固執することとその弊害を、筆者の中国人の友人から送られたWeChat メールとゼレンスキー大統領の国会演説の2 つの話でお伝えした。今回は、「そもそも、べき、すじ論」がなぜ中国人に通用しないかを解説する。
ホワイトボードは書ければよい
中国駐在時のある時期、筆者は会社の建物内での職場移動の担当をしていた。職場の移動が完了し、塗装したての新しい会議室も出来上がった。その会議室に壁掛け式の大型ホワイトボードを設置しようとしたときのことであった。
設置業者が現れ、そこに筆者と中国人の庶務の女性が立ち会った。設置業者は、ホワイトボードを吊り下げるためのフック用の穴を壁にドリルであけようとした。しかし、壁の裏側にあるフレームの材質が固く、穴があかないのだ。自宅で額を飾ろうとしたときによく経験することだ。設置業者は、フレームが縦に走っていると思い込み、それを避けるため10 cm ほど横にずらして再度穴をあけることにした。しかし、また穴があかない。さらにずらしてみたが、またあかない。結局、フレームは横に走っているとわかったため、今度は縦方向に約10 cm ずらして穴をあけることにした。
そこで、上にずらすか下にずらすかということになった。筆者は上にずらそうと提案した。上にずらせば、失敗してつけてしまった穴状の傷がホワイトボードで隠れるからだ。塗装したての壁に開け損じの穴は見せたくない。しかし、庶務の女性は「上にずらすとホワイトボードの位置が高くなり、上の方に書けない人がいるかもしれない。よって、下にずらすのがよい」と言い出した(図1)。筆者は「穴が見えて見映えが悪い」と主張したが、その庶務の女性は「ホワイトボードは書ければいいの(見映えなんてどうでもよい)」と言い放ち、「そんなこと言っていたら中国で仕事できないよ!」とも言ったのだ。
図1 ホワイトボードを下にずらして設置すると見映えが悪い
この「ホワイトボードは書ければよい」という類の「機能すれば体裁などは気にしない」という発想は、中国人にとってはごく当たり前である。しかし、これが日本人の「そもそも、べき、すじ論」と対立するのであった。
製品の中の部品は、ユーザーには見えない
中国人の若手設計者が設計した樹脂部品の金型が完成し、その1st トライ品が成形メーカーから送られてきた。筆者は技術指導のため、その部品の確認を一緒に行っていた。寸法の確認やひけ、ショートショット、バリなどの確認である。この部品は、黒色の基板固定用のフレームで、製品の内部部品であった。筆者が部品を手にして確認していたところ、バリのやや大きな箇所が見つかった。筆者のこれまでの設計経験では、樹脂部品で大きいバリを見つけたときは、成形メーカーに依頼して極力小さくしてもらっていた。バリの修正は、金型の合わせを調整したり成形機の樹脂圧を調整したりする比較的簡単な修正であり、また金型変更費用が発生しないため、外装部品はもちろんのこと、内部部品であろうとバリは修正依頼して小さくするのが当たり前と考えていたからだ。
筆者は、若手設計者にそのバリを指摘して、成形メーカーに修正依頼をするように伝えた。しかし、この設計者は筆者の指摘になかなか応じない。彼の言い分は、「この部品は内部部品でありユーザーには見えないから、修正の必要はない」であった。筆者は、たとえ内部部品であろうとバリは極力小さくするものであり、また修正費用が発生しないのであれば修正するに越したことはないと、バリの修正を主張し続けた。
なかなか納得しない設計者に、「バリをそのまま放っておいて部品を2 ~ 3 年ほど生産すると、バリは大きくなることがある。だから、今のうちに修正しておくのがベスト」とも伝えた。しかし、その設計者は「ユーザーには見えない」の一点張りであった(図2)。最終的に、判断はこの設計者に任せることにしたが、金型修正はされないままとなった。
図2 「ユーザーには見えない」の一点張りの中国人設計者
理由のないそもそも論
日本人が「そもそも、べき、すじ論」を主張するのは、決して悪いことではない。しかし、それを主張するからにはその理由を言わなければならないのだ。
今回のバリの件では、内部部品であってもバリを小さくしなければならない理由が必要だった。「2 ~ 3 年でバリが大きくなる」と主張するのなら、例えば「1 mm以上に大きくなるとほかの部品に干渉してしまい、部品にストレスがかかる」などである。しかし、樹脂のバリは大きくなっても0.5 mm 程度であり、今回の製品の内部構造ではほかの部品に干渉する可能性はまったくなかった。つまり、バリを修正する理由はなかったのだ。
よって、筆者もただ「そもそも、べき、すじ論」を主張することしかできなかったのである。中国人設計者は、理由のないことはする必要がないと、理論的に判断しただけなのだ。
依頼するときには、必ずその理由を説明する
中国に駐在する日本人のマネージャーで、「中国人は残業してくれない。定時がくると仕事の途中でもすぐ帰る」と悩む人が多い。しかし、残業して仕事の切りが良いところまで終えてから帰宅するのは、日本人特有の美徳かもしれない。論理的に考えれば、次の日に仕事の続きをすればよいだけのことだ。
日本人マネージャーが「30 分残業して、明日発送する荷物は段ボールをテープで留めて、会議室の隅に積んでから帰宅してください」と言っても、部下の中国人には通用しない。明日、作業すればよいからだ。そのようなときには「明日の朝8 時に取りに来るトラックに積み込むから、明日出社してすぐに積み込めるように、段ボールをテープで留めて会議室の隅に積んでから帰宅してください」と言う必要があるのだ。
さらに、「そもそも、べき、すじ論」は、中国人を始めとする外国人に対してだけ注意すればよいものではない。昔と比較して世代間の価値観の開きが大きくなっている現在の年配者と若者の間にも発生しうる問題である。「そもそも、べき、すじ論」を主張するなら、必ずそれに併せて理由を説明する習慣をつけたい。