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型技術 連載「金型の未来を拓く技術者たち」

2025.06.18

±1μmを出す技術を混じりけなく守るために教え、学び、次につなぐ―アイエヌオー

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大塚 政宏
Masahiro Otuka
1978年5月18日生まれ(46歳)
愛知県一宮市 出身
ワイヤ放電加工担当
週に2回程度ジムのプールで泳ぐのが習慣。最初はダイエット目的で始めたが次第にそちらの効果よりも「体がほぐれる」という大きなメリットに気がついた。普段の仕事ではどうしても同じ姿勢を長時間取りがちなため泳いだあとは体が楽に。最近では泳がないと調子が悪くなるほど。

高木 光樹
Kouki Takagi
1997年12月25日生まれ(27歳)
愛知県名古屋市 出身
ワイヤ放電加工担当
趣味はゲームでホラーゲームやFPS(一人称のシューティングゲーム)などを楽しむが特にFIFA公式ゲーム(PS4)がお気に入り。実際のスポーツとしては野球に長らく親しんできたが、サッカー独特のスピード感やチームプレーにハマってしまった。各選手の個性を把握し、完璧なチーム構築を目指す。
高木光樹さん(左)と大塚政宏さん(右)

高木光樹さん(左)と大塚政宏さん(右)

 高精度な金型製作の現場で欠かせないパートナーは信頼のおける金型部品メーカーだろう。㈱アイエヌオーは内製化が難しい1μm 公差の精度の部品加工を多く手がけ、中部地方を中心に顧客を獲得。現場での加工を行う従業員は6 名。金型部品加工に特化した職人集団だ。営業活動は特に行わず顧客のほとんどが口コミで同社にたどり着いている。

 そんな同社でワイヤ放電加工機の担当者として現場を切り盛りするのが大塚政宏さん(46 歳)。そして、大塚さんが18 年かけ構築してきた「精度と生産性」を両立したワイヤ放電加工の技術を学ぶべく、高木光樹さん(27 歳)が奮闘している。

口コミだけで広がる技術力を武器に

 ㈱アイエヌオーが手がけるのはプレス金型の部品加工。創業は1990 年。井野正道社長の父である先代の井野勝之氏が脱サラし、たった1 人で始めた会社だ。ワイヤ放電加工機を1 台導入し自ら営業し受注。そこから少しずつ機械を購入し高精度加工を可能にする現場を整えていった。井野社長は包装機械メーカーで機械設計の仕事をしていたが2001 年、後継ぎ修行のため同社に入社。その後ワイヤ放電加工機などの加工をこなし、2008 年に社長就任している。同社の強みは「超高精度加工」。「当社では“ 短納期” は売りにしていないしできません」と井野社長は説明する。

「先代の頃は±5μm 程度が『精密部品』と言われましたが、現在の当社では±1μm の仕事も多い。そうなればどうしても短納期と言うわけにはいかない。時間は多少いただいても『よそではできない仕事』をお受けしています」(井野社長)。

 高い精度を実現するには技術者の腕とともに機械の性能も重要。同社では加工機はすべてハイエンド機をオプションも基本的にすべてつけた状態で導入している。ちなみに同社には営業部隊はおらずほとんどの顧客は「口コミ」で同社と出会っており、多くはリピーターでもあるという。

1,000 分の1の精度に見る世界の広さ

 そんな同社で唯一のワイヤ放電加工機担当として勤務するのが大塚政宏さんだ。大塚さんの入社は2007 年。入社18 年目のベテラン。業務内容はワイヤ放電加工機7 台、形彫り放電加工機1 台を使用した加工と、それに前後したCAD/CAM データづくりと工程管理。忙しいときには1 日12 回ほど段取りをすることも。臨機応変な対応はもちろんのこと、1 回の加工で確実に求める精度を出す下準備が重要だ。
高木光樹さん(左)と大塚政宏さん(右)
「基本的に今の仕事は『準備』がすべて。材料の温度を安定させるためにまずは定盤の上に1 晩おいて、温度を安定させます。そのあとは水を貯めその中に沈めてまた時間を置く。温度が安定しなければひずみに直結するので神経を使います。この仕事をしてから天気予報は気にするようになりました。それに応じて工場内の空調を調整しないと水の温度や昼夜の温度差などもかなり影響しますから」(大塚さん)。

 大学卒業後、サラリーマンや整体師を経験したという大塚さん。製造業に関心をもったきっかけは派遣で自動車部品の加工をしたこと。金属がどうやってこんな形になるんだろう、と興味がわき、製造業を中心に就職活動をして同社に出会った。当時は先代が面接を担当。工場は現在の場所に移転したばかりでまだ機械はほとんどない。がらん、とはしていたがその空間に大塚さんは将来性を感じた。

「『これからどんどん機械も増やすし、仕事も責任をもって教える』という先代の言葉が響きました。モノづくりの素人なりに未来を感じたのだと思います」(大塚さん)。

 一方、2024 年11 月に入社し、大塚さんに付いてワイヤ放電加工機について学んでいるのが高木光樹さん。まだまだ加工をすべて1 人でこなすのは難しいため、主に段取りを担当。細穴放電加工なども少しずつ担当するようになったが、まだまだ修行がたりないと高木さんは言う。高木さんは前職では冷間鍛造の加工メーカーで旋盤やミーリング加工を担当。「転居がきっかけの転職でしたが、この会社の説明を聞いたとき『1,000 分の1 台の精度(1μm)』という単語に驚きました。前職では大体10μm 台が公差の単位。工場はホコリ一つもなく温度は22~23 ℃に必ず保たれていて、機械のメンテナンスも完璧。これらは全部1μm 台の精度を出すには不可欠と説明を受けました。同じ金型でもこんなに違うのか、世界は広い、と関心をもち入社しました」(高木さん)。
高木光樹さん(左)と大塚政宏さん(右)
 高木さんが言及した機械メンテナンスは大塚さん含め同社社員全員が特に神経を使うところだ。ワイヤ放電加工機でもガイドを分解していねいに洗浄しており、その様子は高木さんを驚かせた。

「そこまで掃除するの? というのが率直な感想。突き詰めたモノづくりをしているかどうかは会社の規模では決まらないんだ、と気づかされました」(高木さん)。

精度を出すのは理屈とシンプルな考え方

 ワイヤ放電加工機の担当者は長らく自分1 人だったため、高木さんが入ってくれたことで大いに助かっている、と大塚さん。仕事を早く覚えてもらうことはあまり求めておらず、詰め込み教育だけはしたくないという。どの作業にも理屈があり、それを1 つひとつ飲み込まなければ身につかないと痛感しているのだ。

「自分が入社してしばらくは数名ワイヤ放電加工担当の先輩がいました。熱心に指導してもらいましたが、反面とにかく毎日怒られてばかり。特に段取りが遅い! と怒られて苦労していました」(大塚さん)。

 そんな大塚さんに意外な転機が訪れる。先輩に「これ、精度そんな厳しくないし適当にやって大丈夫」とある部品を渡された。その部品が大塚さんの肩に入っていた力と一種の思い込みを一気に取っ払ってくれた。

「適当にやってもいい、と言うことで周りを気にせず自分なりに手順をたどってやっていくうち不思議と『自分のやり方』が確立されていくのを感じました。説明が難しいのですが自分の中で『絶対にやること』と『やらなくてもいいこと』をちゃんと理屈をもって分けることができました」(大塚さん)。

 今まではそれぞれの先輩が「自分のやり方」を教え、大塚さんは律儀にそのすべてを真似しようとしていた。図面を読むにしてもクランプ治具を取り付けるにしても、1 つの作業につき教えてもらった確認をいちいちすべて行っていれば当然時間はかかる。「とにかく完璧にやらないと精度は出ないんだ、と必死すぎた」と大塚さんは振り返る。結果理解したのは図面をしっかり読み込み作業に落とし込むこと、そして基本の前準備を怠らないこと。この2 つを守れば精度は出る、というシンプルな答えだった。この日を境に今まで1 台の稼働が精いっぱいだったのが1 人で2~3 台を余裕をもって稼働できるように。一気に脱皮した瞬間だったのだ。

 この経験が、今の高木さんの指導に活きている。日々高木さんは大塚さんに教えてもらったことを「メモ」するが大塚さんの説明はメモが非常に取りやすいのだという。教え自体がシンプルで、注目すべきポイントが整理されているからだ。とはいえ、仕事を覚え始めたばかりで苦労は多い。

「最近課題に感じるのは機械のメンテナンス。月に1 度ガイド部分を分解し、洗浄し取り付けるのですが最後の垂直度テスト加工でつまずく。例えば少しマイナスが出ているから少しプラス方向に戻していく、と言うのはわかるのですがどれくらい動かしたら合うのかわからず四苦八苦しています。ほかにも製品のレベル出し(ワークを電極ワイヤに対して水平になるようセット)でも4 カ所で確認して3カ所まではOK でも最後の1 カ所がうまくいかない! など。歯がゆいことも多い。ただ、大塚さんに見てもらうと一発でうまくいく。技術や経験もですが『感性』もカギなんだろうな、といつも感動します」(高木さん)。

技術をつなぐために

 高木さんが日々感じている1μm への道のりの長さ。まず段取りには最低でも30 分以上がかかるなんて、旋盤ならその間に2 個くらいは加工できていますよ、と言う。ただ一方でこの大塚さんの技術をしっかり残していかないといけないという責任感もある。

「この精度を出す技術を完全にちゃんと次に引き継いでいくにはどうしたらいいか。それはしっかり手順やコツをログとして残すことだと思います。今後入社してくる自分のような新人の教育には絶対に必要ですし、何か不良が出たときの解決の手がかりにもなるはず。今は一生懸命教えてもらうばかりですが、この教えを作業手順書と言う形で残したい」(高木さん)。

 大塚さんの経験談にもあるように人によって教え方が違うというのは教えてもらう側にとっては負担。またいろんな“ 自己流” が挟まれることで少しずつずれが生じ、精度が出なくなるのではと高木さんは危惧している。大塚さんの負担を減らすべくしっかり仕事をして、その作業をしっかり記録に残す。アイエヌオーの未来のために必要だ。

 一方の大塚さんが今関心をもつのはさらなる高精度化に加え、生産性の向上。2~3 個程度の連続加工の確立や工程のさらなるシンプル化などを目指したいという。「高木さんも来てくれたことですし、今まではできなかったことにももっと挑戦していけたらと思います」と大塚さんも高木さんの今後に大いに期待している。師匠と弟子の二人三脚は始まったばかりだ。

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