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機械技術 巻頭インタビュー「独自技術で光る日本の機械加工現場」

2025.02.15

精密成形と金型製作の二刀流で、ニッチ分野を生きる

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㈱樹研工業 代表取締役
松浦 直樹氏

Interviewer
オーエスジー㈱ 今泉英明

 100 万分の1g の歯車を射出成形で製作し、業界で話題を集めた樹研工業(愛知県豊橋市)。小型射出成形機の内製や非球面レンズなど自由曲面形状に対応する超精密加工用工作機械の活用により高度な技術力と知見を蓄積してきた。最先端医療に関する製品を実用化するための製造技術も開発。独自技術を有するサプライヤーとして存在感を示している。率いるのは松浦直樹社長。音楽家という異色の経歴をもつリーダーが新たな成長へ導こうと知恵を絞る。今後の事業展開を聞いた。
松浦直樹代表取締役

松浦直樹代表取締役

100 万分の1g の歯車

今泉

機械部品製造業界で微細部品と言えば「樹研工業」という認識が確立されていますね。

松浦

1 万分の1 や10 万分の1、100 万分の1gの歯車の製造技術に関してさまざまなところで取り上げていただき、多くの方に知っていただくきっかけになりました。創業者であり、先代の社長だった父・元男が「日本の金型・成形メーカーが海外メーカーと勝負するなら、μm、サブμm、50nm のレベル」と考え、技術の確立に取り組んだそうです。この取組み時、金型製作のワイヤ放電加工の工程で、50μm の穴に30μm のワイヤを通すのが大変だったと聞きました。「自動結線機能が充実していなかったため」とのことです。金型の温度センサの位置や深さ、金型や樹脂の温度などの最適な条件を見つけるのにいろいろ苦労しただろうと思います。
具体的な案件があったわけではなく、技術開発としての意味合いでした。その後、「このレベルの金型製作と成形ができるなら、これは可能ですか」という問合せにつながり、実務にちゃんとつながったと聞きました。

現在の独自技術にもつながるエピソードだと思いますが、御社の生い立ちを教えてください。

農業用資材や雑貨品の成形からはじまり、将来的に微細部品の成形を主力にしたいと考える中で、思うような成形機がなく、自分で成形機を開発して、金型の内製も始めました。成形業者が金型製作技術も蓄積したという生い立ちです。
父はもともと農業用資材などを手掛ける会社に勤めており、そこで射出成形の事業企画を出しました。しかし、その企画で予算が取れなかったことがきっかけで、独立を決心したと聞いています。創業時は樹脂を粉砕するようなことをしていたことは何となく記憶にあります。

幼少時に見た当時の記憶が残っているほど、印象が強かったのですね。

事業を手掛けている家に生まれた子どもにあることで、簡単な仕事は手伝っており、モノづくりは身近な存在でしたが、深く考えてもいませんでした。一応、工業高校に進学し、卒業後はコンピュータについて学ぶため、アメリカへ留学しました。そのときの英語学校のルームメイトに誘われ、ボストン市のバークリー音楽大学に入学することになったのです。ジャズ分野で有名な大学です。中学の頃にベースを覚えて以来、友人とバンドを組んで活動をしており、音楽は好きでした。大学の学生はプロとして活動している者もいて刺激的でした。1 年やって成果がなければもとの道に戻ろうとしましたが自分にも仕事が来たのです。カフェやホテルラウンジでの演奏、オフブロードウェイ・ミュージカル、CM やテレビの録音などで月収は30 万円ほどでした。分野もジャズからブラジリアン、アイリッシュ、ユダヤ系とさまざまでした。学生兼プロとして8 年間くらい現地で暮らしました。
帰国後、楽器メーカーに就職し、音楽制作を担当。さらに電子楽器向けの音楽制作で独立しました。この間はパソコンで曲をつくったりもしました。

音楽の分野で活躍していたのですね。

その後、紆余曲折あって父の会社に入社させてもらいました。工学的なことを学んできたわけではないですし、高度技能があるわけではないのですが、とりあえず置いていただきました。ただ入社してみるといろいろと疑問に思うことがありました。たとえば、当時の当社は関連の展示会の出展時は成形機も披露して派手な展示を行ったのですが、お金をかける割に成果が得られていないように感じました。また、展示した成形機を持ち帰ったあと、実務で使えるように再設定・調整するのに時間がかかっていたことも課題でした。そのため、目的を明確にして、達成のための出展内容の検討と出展の実施など、戦略立案を担いました。そうした中で、大きな業務を任せてもらいました。ナノ領域が必要な製品を生み出す金型を製作するための「ナノ切削事業」の立上げです。父の得意な丸投げだったので大変でした。

超精密加工機を導入

新規事業の責任者になったのですね。

新しいことができて、それを任せてもらえるのは誇らしいことですが、社内で誰も知見がない中で「精密光学部品を手掛けるための超高精度金型の製作技術の確立」という大きな目標のもと、豊田工機(現ジェイテクト)の「超精密加工機」を導入しました。中小加工業にありがちな“ 勢いでの投資” のように見えました。もちろん、父としては自信があったと思うのですが、使いこなすのは簡単ではないことは私にもすぐにわかりました。工作機械は買ってきたらすぐに稼働するものではありませんし、超精密加工機となればなおさらです。それでも、導入した以上は運用を早く軌道に乗せて、採算を取らなければなりません。私と現場の中核を担う技能者2 人が専任の担当者として、オペレーティングを覚え、運用を軌道に乗せることに取り組みました。
光学部品成形用金型製作で使用する超精密加工機

光学部品成形用金型製作で使用する超精密加工機

大変な一方で充実感も感じられたことと思います。

超精密加工機でもnm 単位のびびりは発生します。工作機械メーカーも装置を開発・製作することはできても、加工精度を安定して発揮させる、再現性のある運用のための方法までを習得することは簡単ではないのです。制御に関するソフトウェアを調節したり、試行錯誤しながら操作方法や管理など加工機のオペレーティング方法を習得しながらも、この機械でこなす仕事を受注しなければいけなかった。そのために、いろいろな書籍を読んだり、各種展示会や学会にも参加して情報を集めました。あまりにも無知なので馬鹿にされたこともありました。
それでも、海外のスタートアップ企業から回折格子の製作を依頼されたり、時間がかかりながらも実績ができました。売上げを計上するまで5 年かかりました。今改めて振り返ると楽しんで仕事ができていたとも感じます。機械加工の原理や原則の大切さを再認識し、考えが深まりました。機械精度を維持するための温度といった加工環境の管理の重要性、また加工物を正しく評価するための測定機の維持などあらゆることにコストがかかることを認識しました。自分で経験したことは身に付き、活きるのです。

現在手掛けていることは。

自動車や医療機器の分野です。自動車はスピードメータやエアコン関連の部品、医療機器はカテーテルや内視鏡の先端部分の部品のほか、眼内レンズの樹脂製の成形用型も手掛けています。眼内レンズ成形用型を成形する金型は外観の形状精度に加えて、表面品質はnm レベルが求められます。金型は超精密加工機を活用し、成形は自社製成形機とロボットを活用した自動化システムを使い厳格な基準で管理したクリーンルーム内で行っています。現在は、さらに成形性を高めるため、あらゆる要素を複合的に分析し、最適な条件の確立に向けた研究も進めています。
使用する射出成形機の多くが自社製

使用する射出成形機の多くが自社製

未知のことを楽しんでやる

今後の目標は。

医療分野の部品のサプライヤーとして、しっかり地位を確立し、付加価値のある分野の仕事を手掛けることで収益性を確保していくことです。最近は芝浦工業大学工学部の吉田慎哉准教授が研究する「Thermopill(サーモピル)」をインサート成形で封止する量産技術を完成させました。「飲む体温計」です。射出成形時に電子回路を破壊せずかつ寸法精度に誤差がある基板を固形物内で安定させ消化液などの侵入を防ぎます。デバイスの電極部を露出させつつ密閉性を維持します。基板の厚さは製品によって最大0.1mm のばらつきがあるのですが、内部で安定して保持することができました。

社会に大きく貢献する技術だと感じます。

飲む体温計は体内の体温(深部体温)を測定することで、疾病リスクを確認でき、病気の早期診断、健康増進につなげることが期待されています。体の表面の温度を測る通常の体温計よりも精度が高い一方、腸壁を傷つける恐れがあるとともに、安定した封止技術が課題とされています。生体適合樹脂による、完全封止を実現しました。

保有技術の集大成と言えますね。

ほかの分野にも応用できるかもしれません。この案件は社員が話をまとめました。ニッチ分野で手探りのことが多いかもしれませんが、当社の技術や知見が活かせます。当社の生きる分野だと思っています。思考を停止させないで、未知のことを楽しむ意識を常にもつことを大切にし、社員にもそう期待しています。
成形品の検査工程

成形品の検査工程

まつうら なおき/ 1962 年、愛知県豊橋市生まれ。62 歳。愛知県立豊橋工業高校電気科卒業後、アメリカへ留学。バークレー音楽大学で学びながらプロ演奏者として生計を立てる。91 年ローランド入社、2003 年に樹研工業入社。15 年から現職。現在はフランス語を独学で学習中。

いまいずみ ひであき/1957 年愛知県出身。1980 年大阪工業大学卒業後、オーエスジー㈱入社。エンドミルやドリルの設計、開発に長年携わる。特殊工具の打合せや使用状況確認のために国内外多数の切削加工現場を訪問した経験をもつ。著書に「目利きが教えるエンドミル使いこなしの基本」(日刊工業新聞社)。

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