水野 一光
1981年10月13日生まれ(43歳)
長野県埴科郡坂城町 出身
代表取締役
ここ10年ほどで特にはまっているのはプラモデル。「スケール1/150」のものが好みで飛行機や車、鉄道に船、とモチーフにこだわりなくつくってきた。ところが最近このスケールのめぼしいプラモデルをあらかたつくりつくしてしまい、この頃は時折友人などの助けも借りながらCADで絵を描き3Dプリンタで部品を製造。色を塗り、組み立てて楽しむという。仕事と遊びは分けているつもりだが、どちらの場面でも黙々と1人没頭して手を動かす時間が何より好き。
水野製作所は射出成形金型の製作・射出成形を手がけている。微細かつ高精度な成形を得意とし、長年、電子部品やカメラ関係部品、ギヤケースや歯車を手がけてきたが、近年ではタイに展開した工場を中心にスプレーノズルの先端部品にも着手し着実に受注を伸ばしている。また常識にとらわれない発想で、住友重機械工業が提唱する「ゼロモールディング」の実現にも大きく寄与したキャビティ・コアを絶妙なクリアランスで「非接触」にする金型構造などを考案。大幅な品質向上のみならず機械・金型へのダメージ軽減による長寿命化などを実現している。そんな同社の3 代目として奮闘する水野一光社長に就任前の修行時代から現在に至るまでの経歴を聞いた。
型締め力を「0」に、常識外の発想
水野製作所の創業は1961 年。創業当初は成形のみを行っていたが1963 年には金型設計・製作を開始。1973 年には一度倒産の危機に陥るも、その後現在に続く微細プラスチック製品の金型設計・製作、成形に方向転換。1955 年にはタイに「ミズノプラスチック」を設立し、大手カメラメーカーやプリンタメーカーの事業を受注、現在ではタイ、日本両国で成形している。タイではスプレーのノズル先端部分に当たる微細部品などの新たな受注も目立つようになってきた。
同社の技術力を象徴するのがキャビティ・コアを絶妙なクリアランスで「非接触」にする金型構造と、成形時に「型閉め力」を「0」にする独自の成形法だ。金型の長寿命化、そして製品品質の飛躍的な向上を実現した技術であり、住友重機械工業が提唱する「ゼロモールディング」(成形現場における不良・無駄・失敗を限りなくゼロに近づける成形法)の実現に大きな役割を果たすことになった。
「非接触にする金型構造」は、金型を閉めた際に通常なら接触するピンなどのキャビティと、コアの隙間に10 μm の隙間をあけ、物理的に非接触にしてしまう構造のこと。隙間は極小であるため樹脂は流れ込まずバリなどが出ないうえ、接触しないことでたわみなどの影響を受けず金型へのダメージを最小にできる。同社の製造する部品はそれ自体がゆび先から手のひらサイズの小物であり、そのうえ極小の穴があいている(例:0. 15 mm の無数の穴が加工されるイヤフォン関連部品)などであるため、金型部品自体が繊細かつ高精度のものが多い。それにさらにμ 単位の隙間があくよう調整をし、金型を組み上げているのだ。
また、「型締め力0」は、型締め力を0 tに設定し成形することで金型を締め付けすぎずにガスが抜け、樹脂成形の大敵である「ショート」を防止することができる。ただこちらも金型部品・組付けの精度が高くなければ実現し得ない。通常、「型閉め力」は必要不可欠なものとして適切なトン数を出す計算式も存在する。それを「0」にする、という常識外の発想とそれを実現する同社の技術力が合わさり、後の「ゼロモールディング」の基礎となる金型構造と成形法が確立されたのだ。
パイロット志望から経営者修行へ転身
そんな同社の3 代目が水野一光社長。出身校は長野工業高等専門学校(高専)だ。最初から家業を継ぐために入学したわけではなく、当時はパイロットに憧れており、高専で機械設備などを学んだあとパイロットになるルートもあることを知っての入学だった。ところが。
「そうそう簡単にパイロットになれるわけでないことは入ってすぐわかりました。しかも、もともと目が悪いせいもあり『こりゃ無理だな』と入学早々意気消沈しましたね」(水野社長)。
卒業後の進路をどうしようかと考えあぐねていたとき、父親である水野一郎会長(当時社長)は「経営者になって稼げば大金持ちになれるぞ」と励まし半分でもちかけたのだそうだ。今思えばそんな簡単な話なわけない、と水野社長は笑うが、父親の檄に「なら、やってみようか」と一念発起。高専卒業後、住友重機械工業で3 年間射出成形、牧野フライス製作所にて2 年間切削・放電加工の基礎を学んだ。
「当時は一社員として働きながら技術を学びましたが、どちらの会社でも周りの先輩方は短い時間でできるだけ技術を身につけられるよう、気にかけてくださっていました。今ではユーザー側ですが何かあればいつでも問い合わせができる関係を続けさせてもらっています」(水野社長)。
「現場」で受けたカルチャーショック
2008 年、5 年間の修行を終え「取締役」の肩書きを得て水野製作所に入社。ところが待っていたのは「一作業者」としての多忙な日々。数年の成形現場を経験し、その後はマシニングセンタ(MC)の現場で社員に混じって働いた。
「金型のスライド機構を左右入れ違えて組んでしまい、無理矢理閉めたうえで成形し金型を破損させたり、MC では主軸をぶつけて数百万の損害などなど。お決まりのミスは一通りやりましたね」。
そう笑う水野社長だが成形・加工(切削・放電加工)の綿密な修行が功を奏し、日々の業務で大きな苦労はなかったという。しかし反面、カルチャーショックも多々あった。
たとえばMC の加工現場に異動してから特に気になったのがベテラン担当者の加工条件検討が経験頼りで、時には少々雑にも見えること。加工に失敗したら報告をせずあっさりと再度加工に入ってしまうなど、コスト面の感覚にも改善の余地があった。そこで水野社長はまず修行時代に覚えた、加工条件の割り出しに有用な数式などの伝授から始めた。きっと役に立つはず、と材料に合ったMC の回転数などその場に合ったものをできる限りていねいに教え、その場では聞いてもらえた。しかし。
「残念ながら、全員いつのまにかもとのやり方に戻ってしまいました」(水野社長)。
また、成形の現場でも修行時代の感覚が通用しないことが多かった。修業時代は試作が主で量産はほとんど手がけていない。しかし、実際の加工現場は量産ありき。金型の段取りも条件も検討を重ね完璧にしたのになぜかショートを頻発し、頭を抱えたことも。試行錯誤のあげく設備と金型を掃除するなどで不良があっさり解消されたりと、現場で手を動かさないと覚えられない経験則が増えていった。
「適当でマイペースにも見える社員たちではありますが、それでもちゃんと金型は出来上がり、成形品は寸法をクリアしている。ならば成形メーカーとしては正解であり、自分の方がまだまだ現場で学ぶべきことがあるんだなと気づかされました」(水野社長)。
ルールづくりに依存しない
ただ、とはいえ今までのやり方をすべて肯定するわけにはいかない。少しずつでもさらなる良品を突き詰める現場づくりをしていかなくてはいけないのだ。そこで水野社長が決めたのはたった1 つの「“いいもの” をつくろう」というスローガン。一見すると随分あいまいなスローガンだが、これは水野社長なりに現場を観察して気がついた「小さなチーム」の意思統一方法なのだ。
「5 年間の修行で学んだ計算式やデータ分析はもちろん、私自身にとっては大きな糧です。ただ、それを今まで何十年と、小さな会社の中で自由に加工してきた社員たちに浸透させるのは難しい。やり方やルールをがちがちに決めるのは簡単ですが、それらは守れなきゃ意味がない。ならば全員が『自分のやり方』で、でも同じゴールを目指せる雰囲気をつくりたいと思いました」(水野社長)。
このスローガンの意味は「あなたが“いいもの”と思うモノはなにか、それをつくるには日々どうすべきかを考えてほしい」というもの。実際に一番意識が変わったのは同社に2 名いる品質管理担当者。品質に関する小さな疑問や意見も水野社長に相談してもらえるようになり、その結果が現場に自然とフィードバック。結果全員が少しずつ日々の作業に注意深くなることで品質がずいぶん改善してきたという。
2016 年には社長に就任したが、現在も常に現場での加工・成形を行う。特に水野社長の仕事として重要なのは最後の金型の組み上げ。基本的に木槌などは使わず同社の金型はすべて手で組み上げる。この組上げの際にうまく部品が入らない、などの違和感があるとその金型は高い確率でトラブルを起こすという。「金型は結局成形の道具で、その道具がきちんとできていれば自ずと成形もうまくいく。常に金型は触っていたいですね」(水野社長)。
少ないチームメンバーを大切にできる会社
同社はホームページもなく、基本的には既存の顧客、そしてそこからの紹介で受注を受けている。「知る人ぞ知る」優良メーカーだが、水野社長は今のところ特に大きく営業活動をしようとは考えていない。現実的にキャパシティを超えた仕事を受ければ今のクオリティは維持できないと危惧しているのだ。価格を自社で決められる自社製品の確立なども急務だが、今は会社内の環境改善に力を入れていきたいと考えているという。設備・建物の老朽化もあるため、2027 年には社屋の全面建て替えを実施。今まではいくつかに分かれていた金型部品加工の部署を1フロアに集め、成形フロアへのアクセスをしやすくし業務の効率化を狙う。また今まではなかった休憩スペースなども充実させる予定だ。
「タイの工場も設立してから30 年以上が立ちますがほとんど社員が辞めておらず、今では図面データさえ送れば日本と同じクオリティの金型製作と成形ができます。辞めずに続けてくれている明確な理由は会長にもわからないそうですが、立ちっぱなしの現場はなくし、できるだけ楽な姿勢で働けるような工夫などを長年してきているおかげで働きやすい、と感じてくれているようです。小さな会社だからこそ、一緒に働いてくれる人は大切に。それがモノづくりの品質につながると思います」(水野社長)