プレス技術 連載「世界のなかの日本、日本のなかの世界」
2026.06.19
第18回 地震・雷・火事・おやじ?
帝京大学 平田 好
ひらた よしみ:外国語学部長 兼 日本語教育センター長。早稲田大学卒業後、1995 年からベトナムを皮切りに世界各国で日本語教育に携わる。2021 年より帝京大学教授。2022 年より日本語教育センター長、2025 年より現職。修士(国際関係学、2000 年早稲田大学)。
日本は世界有数の地震多発国ですが、地球を見渡せば、地震がまず起きない国もあります。大きな大陸の内陸部に位置して火山活動や津波の影響がほとんどない地域から日本に留学した学生は、日本で地震を初めて体験することになります。日本で生まれ育った者にとっては、震度1 程度の揺れであれば、驚くほどのことではありません。少しでも揺れを感じれば、大きな揺れが来ることを想定して周囲を見渡し、安全を確保する習性が身に付いているからかもしれません。ニュースの地震情報を確認もすることでしょう。
初めての地震は震度1 でも怖い
しかし、日本に来るまでに地震を経験したことがない学生にとっては、震度1 でも非常に怖いそうです。何が起きているのかわからない、いつまで揺れが続くのか、どの程度まで揺れが大きくなるのか、建物が壊れるのではないかと不安が募り、パニックを起こす例もあるようです。
大学入学前に、日本の日本語学校で学んだ留学生たちの多くは防災教育を受けています。火事や地震を想定した定期的な避難訓練で、落下物から身を守る行動を学び、避難経路の確認をしているはずです。ただし、どこまで自分のこととして捉えているかは必ずしも明らかではありません。また留学生の中には、日本での予備教育を受けることなく、直接、大学に入学してくる者もいます。その場合には、日本での防災教育は受けていないことになります。
そこで、筆者が担当する留学生対象の教養科目では、日本で生活していくための社会的な知識の習得の一環として、防災につながる調査と発表を受講者に課しています。大学にいるときに地震が起こった場合には、大学側で準備している手順や行動指針に従うことになります。もちろん避難訓練は定期的に実施されていますし、日本の法に基づいた耐震基準を満たした建物が倒壊することは考えられません。
自宅周辺を歩いて防災標識を確認
課題は自宅にいるときではないでしょうか。留学生のほとんどは一人暮らしをしています。そもそも、その住まいは安全なのか、地震が起こったら避難するべきかとどまるべきか、どこに避難するべきか、どの道で避難所に行くのかなどのシミュレーションを行うことになります。
まずは、各自で自宅周辺の「ハザードマップ」を確認します。ハザードマップは自然災害の危険性や避難場所を地図上に示したものですが、カタカナ語が苦手な留学生が多く、この言葉自体になじみがない学生がほとんどです。字義を理解できたとしても、日本の社会におけるハザードマップの意義を理解してもらうには工夫が必要です。
次に、自宅周辺を歩いて、防災標識を確認し、スマートフォンで写真を撮ってくることを宿題とします。ここで筆者は避難場所を示す地図だけでなく、洪水や内水氾濫標識、崖崩れ標識、洪水が起こったときの想定浸水深の数値などの写真を期待していました。しかし、「自宅の周りに標識はありませんでした」とまったく写真を撮影してこない学生もいました。都内で自宅から半径500m以内に標識がない地域はあるかもしれませんが、学生が住んでいる場所から想定して、その地域にあたるとは思えません。日常的に防災標識を意識していないと、“あってもないもの”になっているのかもしれません。
その後、学生個人で「自宅の周りにおける防災上の課題」というテーマで口頭発表します。調査の途中で学生たちはさまざまな課題を発見してきました。アパートが小さな都市河川の近くのため洪水の危険性があることに気づいた学生、住んでいる自治体の中央に断層帯が走っているため、その断層による地震発生の可能性について調べた学生、想定される避難所への経路に崖崩れの危険性が高い地点があるので避難所に行くべきか検討した学生などです。
筆者自身は自宅周辺のハザードマップを確認し、避難の経路や方法について知っていますが、タイミングが合わず、この数年間は地域の防災訓練に参加したことがありません。日本の地域防災訓練への参加率はかなり低いようです。訓練に参加しなくても、いざというときにはしかるべき行動がとれると自信をもっているのでしょうか。実は、筆者は防災訓練を甘くみたがために、たいへん痛い思いをしたことがあります。
トルネードは「おやじ」の一種?
カナダのアルバータ州政府教育省で、日本語教育に関するアドバイザーとして働いていたときのことです。役所が入っているビルは10 階建て、相当に大きな建物です。カナダの内陸部に位置するアルバータでは地震が起こる可能性はたいへん低く、防災訓練はトルネード(竜巻)を想定したものです。その日、避難訓練があるとは聞いていたものの、個室オフィスで仕事に集中していて、アナウンスがあって数分してから同じフロアを見渡すと誰もいません。
トルネードは、渦巻き状の非常に強力な上昇気流で、局地的に甚大な被害をもたらします。人や車も飛ばされて建物が倒壊します。堅牢な建物であれば倒壊する危険性は低いですが、窓ガラスが割れて建物内部に強風が入ってくる危険はあります。したがって、人々は建物内部にある非常階段に逃げるのです。
さて筆者は、着の身着のまま非常階段に走りました。すでに多くの人が非常階段にいます。とはいえ訓練ですから、コーヒーを片手におしゃべりをしている人が大半でした。そこで気づきました。コートを着てくることを忘れたのです。トルネード避難訓練は、ビル内にいる全員が非常階段に逃げたことを確認した後に、全員が非常階段を降りていき、一度はビルの外に出る流れになっています。その日、すでに外気温は-10℃です。非常階段の各階にいる避難訓練担当者に「すみません。コートを忘れました。オフィスに戻ってもいいですか?」と尋ねると、即座に「NO !」。当然です。今からオフィスに戻ったら、トルネードに巻き込まれて即死する危険性があるのですから。コートを着用せずに-10℃の外気に触れても、凍えることはあっても死ぬことはありません。非常階段に待避していた人たちも「1 階のカフェテリアで温かいコーヒーを飲めばいいよ」と笑っています。
避難訓練は大切です。万が一のことが起きたときに迅速に対処できるようにしなければいけないと、文字通り痛感しました。
さて日本には「地震・雷・火事・おやじ」という言葉があり、怖いものの例えと言われています。「おやじ」だけが自然災害ではなくて不思議に思っていました。あくまでも俗説ですが、元は「おやじ」ではなくて「大山嵐(おおやまじ)」、「大風(おおやじ)」が変化して「おやじ」となった、という説があるようです。トルネードは「おやじ」の一種と考えれば納得がいきます。
雷おやじに叱られなくても、避難訓練には真面目に参加したいものです。災害は忘れた頃ではなく、忘れているときにやって来るのですから。