工場管理 連載「ちょっと待った! そのDXは失敗します」
2024.11.14
第3回 「効率化」の追求が日本の技術力を低下させる
ダイテック 山口純治
やまぐち じゅんじ:執行役員 DX 推進本部 本部長
研修講師およびコンサルタント。業務改革、業務の可視化・整理・標準化、システムの導入・運用を支援し、企業のDX 推進や目標達成を伴走型で支援。
前回は、効率化を過度に追求した結果、業務が細分化され、専任化が進み、「セクショナライズ」「縦割り組織」「サイロ化」「大企業病」といった状況に陥り、変化に弱い組織が醸成されるという話をしました。変化に弱い組織の特徴として、部分最適が横行し「他部門のことがよくわからない」あるいは「他部門がやっていることに興味がない」という状況になります。結果として、会社全体の業務をわかる人が社内にいない状態になるのです。このような状態では、全社横断型のプロジェクトの推進は容易ではありません。
効率化は目的ではなく手段です。しかし、手段である効率化があたかも目的であるかのように扱われているシーンを私は何度も目にしてきました。
IT ツールを導入した企業に、「何の目的で導入したのか?」「具体的な導入効果は?」と問いかけても、はっきりした答えを得られないことが多々あります。手段が目的化しているわけです。
ピラミッド型組織では、その仕組みの特性上、手段の目的化が日常的になりがちです。というのは、部署ごとに目標を立て予算が割り当てられるため、各部門は自分たちの目標達成と計画遂行にフォーカスします。自部門の目標達成度合いによって、部門の評価が決まるからです。
全社システム導入がことごとく失敗する理由
たとえば、システム導入における典型的な問題点として、導入と運用の間の連携不足が挙げられます。IT 部門は「今期中にXX システムを導入する」といった期初の目標に焦点を当て、その実現に努めます。しかし、通常IT 部門は企画から導入までしか関与せず、システムの運用は別の部門に委ねられます。この結果、システムが導入されても、現場からは「使えない」とか「使いづらい」といった運用上の問題が指摘されます。
このような状況の中、システム導入によって得られる成果に対して、果たしてどの部門が責任を負うのでしょうか? システム導入が目的なのではなく、システムを運用することで得られる成果が目的であるはずです。システムを導入する場合、まず成果を明確にして「運用を設計」し、その設計図をもとにシステムの要件を検討すべきなのです。実際には、システム導入に多大なリソースを割くのに、運用については熟慮されていないケースが散見されます。結果として、システムが稼働した後、実際の業務に合わせてカスタマイズが必要となり、追加の労力やコストを発生させます。
DX 推進に限らず、変革の実現を目指すには、ゴール(ありたい姿)を明確にしたうえで、逆算して計画を立てることが肝要です。これをバックキャスティングといいます。重要なのはゴールに到達することであって、手段に固執することではありません。そのため、関係者全員がゴールを目指して試行錯誤する必要があるわけです。
効率化の追求によって技術が衰退する
効率化の追求によって技術の衰退がもたらされる可能性について触れたいと思います。企業や組織が短期的な利益のために効率を追求する場合、競争力を維持するために、徹底的にムダを省きプロセスを効率化します。まさに「乾いた雑巾を絞る」という旧時代の原価管理手法です。これは生産性の向上、リードタイムやコストの削減、短期的な利益増加をもたらします。しかし、この過程で、挑戦と創意工夫を通じて得られる「新しい技術や知識」が失われます。
効率を過度に追求した結果、たとえば経験の浅い社員を教育のために出張に同行しようとしたときに、上司や管理部門から「1 人でも成果が出せるなら、出張は1 人で行くこと」といわれたり、経験の浅い社員に業務経験を積ませたいと思っても、上司や管理部門から「もっとも短時間で作業できる人間をアサインする」という決定が出されたりします。結果、能力の高い熟練社員に業務が集中し、若手社員はいつまでも新しい経験機会が与えられずに成長できずに、業務負荷の格差が大きくなるという状況になります。
また、効率化による利益拡大に依存すると、新しい技術や知識を習得する機会が激減することになります。すべてがマニュアル化され、システム化され、逸脱が許容されなくなる中で、熟練技術者によるKKD(経験と勘と度胸)といった非形式的な知識やスキルは「時代遅れ」といわれるようになります。たとえば、効率重視で大量生産に適した製品をつくる場合、たとえ技術者が非常に高い技術力を持っていても、その技術の60% しか必要とされなくなります。これは、属人化を避け、「誰でもできる」ような再現性が高い作業方法を重視するためです。その結果、使われない残りの40%の技術力はだれにも継承されることなく組織から失われてしまいます。
また、コスト削減を目的とし、下請け企業に「そこそこの品質の低コスト製品」の生産ばかりを依頼すると、下請け企業は、既存の技術力を最大限に活用し、それをさらに向上させる機会を失います。コスト重視のアプローチは、技術開発や品質改善への投資を抑制することになり、これが製品の革新や技術進歩の停滞に直結する恐れがあります(図)。
この状況は、熟練技術者の技能のムダ遣いにもつながります。彼らが持つ高度な技術やノウハウを適切に活用する機会が減少すると、これらの技術が次世代の技術者に適切に伝えられることなく失われるリスクが高まります。高度な技術や経験を持つ熟練者が退職する際に、その知識と技能が後継者に継承されないまま組織から失われていくのです。そして、一度失われた熟練技術を取り戻すことは極めて困難です。
技術力を高めるためには、これまでやったことがない取組みに挑戦するしかありません。企業活動において効率化は重要な取組みですが、新しい技術や知識の獲得、技術者の能力向上も同様に重要であることを認識する必要があります。
国内の企業がコスト削減や効率化を過度に追求し続けることによって、日本の技術力が徐々に低下して、グローバルマーケットにおける競争優位性を失ってしまう懸念があります。日本企業はいつから効率化を絶対的な正義だと思い込むようになったのでしょうか。
米国を代表する組織経営学者である米スタンフォード大学経営大学院のチャールズ・A・オライリー教授は、著書「両利きの経営」で、既存の主力事業を絶えず改善する「知識の深化」と、新しい事業への挑戦と実験を繰り返す「知識の探索」を同時に行うことの大切さを強調しています。日本企業は、「知識の深化」は得意とするものの、「知識の探索」が苦手なようです。しかし、ビジネス環境の変化が加速している中、企業が成長し続けるためには、試行錯誤という「知識の探索」が必須となるのです。今こそ、「知の探索」という機能と文化を社内にインストールすることを検討すべきではないでしょうか。