町工場が集積する東京の下町に一際、目立つカラフルな工場を構える浜野製作所(東京都墨田区)。20年近く3S(整理・整頓・清潔)活動を継続し、人材育成、生産性向上、新規顧客の開拓などに効果を発揮している。マンネリ化しがちな活動も若手がリーダー役を務めることで常に新鮮な視点から改善へのモチベーションを高め、全社的な取組みを促進しているのが特徴である。最近では従来の3定管理といった3Sの基本的な取組みだけにとどまらず、社内のワークフローの見える化やデジタル化の推進も課題として意識するなど活動の枠組みをさらに広げつつある。同社の3S活動は長年の蓄積を踏まえて、新たなフェーズへと進み始めている。
(この記事と写真は2023年12月12日に行った取材をもとに構成・掲載しています)
モノづくりは誇り高い仕事
浜野製作所は1968 年に浜野慶一代表取締役CEOの実父・嘉彦氏がプレス金型製作で創業。その後、プレス加工に進出し、78 年には法人化。93 年に嘉彦氏の死去に伴い浜野氏が二代目に就任した。
現在は精密板金・機械設計を中心に金型の設計・製作、プレス、切削の加工技術を活かし、開発設計段階から顧客にコミットする開発型事業を展開する。一方で深海探査艇「江戸っ子一号」プロジェクトや墨田区と早稲田大学との産学連携による次世代型モビリティシステム「HOKUSAI」プロジェクトにおける電気自動車の製作などに参画。さらにモノづくり実験施設「Garage Sumida(ガレージスミダ)」を設立して新規事業の開発支援、高専のインターンシップも積極的に行っている。また。2022 年にNHK のテレビ番組「魔改造の夜」に出演。大手自動車メーカー、国内トップクラスの大学工学部を相手に「トースター高跳び」でダントツの結果を残したことでも知られる下町の元気企業である。
とはいえ、浜野氏の就任後、決して順風ではなかった。もともと家業を継ぐ気がなく、大学卒業後は総合商社への就職を予定していた。家業を継いだきっかけは「父の『モノづくりは誇り高い仕事』の一言」(浜野氏)だった。だが、現実は厳しかった。当時は自宅兼工場の墨田区の典型的な町工場だった。現場は油にまみれ、金型が乱雑に積み上げられた整理整頓とはほど遠い環境。入社面接にきた70 歳近い製造業未経験の男性は話も聞かずに帰って行ったという。「これはショックでした。『誇り高い仕事』のはずが見た目で判断される。この苦い思い出が3S 活動の基礎になっています」と浜野氏は振り返る。
2000 年に近隣からのもらい火で本社工場が全焼する大打撃を受けながらも仮工場で事業を継続。02 年には現在の第1 工場となる精密板金工場を稼働した。外壁を赤で統一し、らせん階段を配置するなど近隣の工場とは一線を画す外観は「おもちゃ箱をイメージしてモノづくりの楽しさをアピールした」(同)ものだ。新工場建設を機に整理・整頓に着手した。受注が拡大し、社員数も増えたことで組織をまとめる意図も含めて5S 活動にも取り組み始めた。
「きれい化」から本物の3S 活動へ
転機となったのが、大阪で3S 活動を推進するグループを通じて行われた大阪での工場見学だった。そこで見た3S による改善活動は自分たちとはまったく違うと実感した。「3S の意味や目的を社員1 人ひとりが把握し、考えながら取り組んでいる。自分たちの5S は見かけだけの『きれい化』活動だったと気づかされました」(同)。
大阪で3S 活動を推進する会社に指導を仰ぎ、チーム制による活動に着手。「整理・整頓・清潔の徹底を通じ、改善ストーリーが循環する組織をつくる」をテーマに掲げ、各チームが年間計画を策定して実施する体制を整えた。また、有志5 社による東京3S 研究会が発足し、DM 発送業者や衣料品卸会社など異業種でお互いの会社を見せ合うことで多くの気づきが得られたという。
3S 推進委員が社員全員と面談し、活動内容を見直し
その後、東京3S 研究会は発展的に解消し、各社個別の活動に専念してきた。同社では活動のリーダーとなる3S 推進委員会の委員を毎年決算期(9月期)ごとに選出し、週1 回1 時間の全社3S 活動をベースに継続。会社の機械設備を使って必要な備品などを自作できる月1 回の「工場開放日」や社員同士が不要なものを交換する「社内メルカリ」など改善に結びつく社内行事を開催し、モチベーションの向上にも結び付けてきた。
毎週月曜日の10時から1時間、全社で3S活動を実施。チーム制の復活で活気が生まれてきた
こうした中、近年、若手を中心に新たな動きが出てきた。入社6 年目の鐘ヶ江温克氏と5 年目の肥沼晃史氏はともに高専卒業後、設計開発部に配属。大手光学機器メーカーからの出向社員と3 人で21 年10 月から3S 推進委員を務めている。彼らは「任期1 年では継続できない」との自らの希望ですでに3 期目に入っていることからもその本気度がうかがえる。「初年度は個人の目標管理による活動を引き継ぎましたが、人によって熱量の差が大きく、全社的にどう進めるのかが最初の悩みでした」(鐘ヶ江氏)。
同社では社内の改善点を3S 推進委員会がチャットツールアプリのSlack にあげて注意喚起を促していた時期があった。しかし、「やらされている感」が強いとの意見が多く出たことから個人目標を設定させる形に変更し、本人の意思に任せる活動へと切り替えていたのだ。
そこでまず行ったのが全社員との面接だった。1人ひとりと面談し、「3S をどう思っているか」についてヒアリングを実施した。そこでは「やりつくした」、「1 人では見つけられない」といった意見とともに「改善したいが1 人ではできない」といった声も多く聞かれ、改善テーマがいくつか提案された。
これを受け22 年10 月からチーム制を復活させた。1 チーム4 ~ 5 人で8 チームを編成。「金型倉庫のスペース確保」、「工場間の移動時間の改善」「倉庫の整理整頓」など面接で提案されたテーマを中心に8 件を設定した。「メンバーは部署やフロアごとでなくランダムに選んだことで倉庫整理など部署単位では取り組みにくかったテーマ設定が可能になり、みなさんからも『目標がはっきりして取り組みやすい』との評価をいただきました」(肥沼氏)と3S 活動に対する社内の空気も変わってきた。
チーム制の復活で倉庫の整理整頓を実現(写真提供:浜野製作所)
さらに新たな切り口として着手したのが「ワークフローの改善」だった。従来の3 定管理などモノを中心とした3S だけでなく、会社全体を俯瞰して業務の流れを「見える化」し、全社的な改善に取り組むことを狙ったものだ。浜野氏は「当社はこの10 年で業容が大きく変わり、誰がどのような仕事をしているのか把握することが難しくなっている。ワークフローの見える化は重要な取組みです」と高く評価する。
ワークフローの見える化を実施。業務全体の改善に着手(画像提供:浜野製作所)
22 年度ではフローチャートを作成し、「見える化」の段階までこぎ着けた。「みなさん本当に詳細な資料を作成くださり、23 年度はこれを基礎に具体的な改善に取り組みたいと考えています」(鐘ヶ江氏)と本格的にスタートする方針だ。
3S 活動でデジタル化を推進
また、3S 推進委員会が次の目標として掲げているのがデジタル化である。同社では紙図面での依頼が多く、図面の電子化が大きな課題となっている。多品種少量の受注比率が高いことから顧客の幅が広く、図面の種類も多岐にわたるためデジタル化が難航しているのが現状である。加えて、社内的にもデジタル化を推進することが求められている。3S 推進委員会では「インターンの学生とミニロボットコンテストを開催した経験を活かして社内でもロボット製作を通じたデジタル化の普及を検討しています。現場はモノづくりが好きな人ばかり。ロボットづくりをきっかけにデジタルに興味を持ってもらえればと考えています」(肥沼氏)とのアイデアも温めている。
デジタル化の推進に向けて今期から3S 推進委員会は2 人増員し、5 人体制に拡充した。「3S 活動はチームビルディングの観点からも効果があり、今後も人材育成の場としても積極的に推進していきます」(浜野氏)と3S 活動の継続が同社の人づくりの基礎となっている。