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プレス技術 連載「モノづくり革新の旗手たち」

2024.10.07

刃物製造で鍛えた金型技術を武器に自社の強みを生かした営業を展開 ニッチ市場の開拓に邁進する

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㈱ツカダ 代表取締役
塚田浩生氏

自社製品の取り組みで学んだこと

編集部

自社製品も出されています。

塚田

2016 年にマルチツール「キークエスト」と、名刺ホルダ「キープスマート」を発売しました。両者とも当社独自のアイデアです。前者は段ボール箱を止めているテープを切るための刃や、栓抜きなど様々な機能がついており、鍵と同じようにキーホルダーに吊るせます。材質は包丁やキッチンバサミと同じSUS420J2 を使い、焼入れしています。後者は3 枚分の名刺を財布に忍ばせておくためのカード型のホルダです。薄板を折り曲げ、そこにインクの裏写りを防ぐための仕切板が2 枚挟んである簡単な構造です。本体、名刺3 枚、仕切板2 枚をトータルしてもクレジットカード1 枚分ほどの厚さで嵩張りません。材質はSUS304 のばね材。板厚は本体がt0.2mm、仕切板t0.1mmで後者は全周をバリ取りしています。

編集部

業績面への効果は。

塚田

テレビの全国放送で紹介されたこともあり、どちらも予想以上の売れ行きとなりました。確かに単年で言えば大きな売り上げ増になったので夢を見たのも事実です。ですが、その翌年、翌々年に手痛いしっぺ返しを食らいました。商品の売れ行きが落ちたのに加えて、本業の売上げが下がってしまったからです。後から考えるとやはり本業が疎かになっていたのではないかと反省しています。なので、今は本業に集中できないのであればやらない方が良いと思っています。個人的にはアイデアを形にするのが趣味なので、実は今でもいろいろなツールや装置を作って工場で使っています。本業の方が盤石となり、何があっても転ばなくなったらやがて再開するかもしれません。

自社の強みと弱みに真剣に向き合う

編集部

創業のいきさつは。

塚田

1970 年(昭和45 年)に先代(父親・塚田紘太郎氏)によって刃物の打抜き加工の会社として創業されました。大工の棟梁の家に生まれた先代は幼くして両親を亡くし、母の故郷である新潟県燕三条で中学に通いながら金属加工メーカーで働く苦労人でした。関市に移住後は圧延ロール加工などをする金属加工メーカーに就職。そこでプレス加工に出会い、20 代で独立、当社を創業しました。関に移住したのは関が燕三条と同様、刃物の街だったことから自分の力を試したいと思ったのが理由だと聞いています。

編集部

ご自身の入社の経緯は?

塚田

1998 年に大学の機械工学科を卒業して機械メーカーの設計部署に1 年ほど勤務した後、当社に入社しました。当時、二つ上の兄がいたのですが、私が前職に就職した年の暮れに交通事故で亡くなってしまい、急遽、前職を辞めて当社に入社し直しました。1999 年のことです。当社入社後は、最初は金型製造から入って、その後設計を担当しました。当時、ファナック製のワイヤ放電加工機が1 台あって、それを専用プログラムで動かしていました。ただ、一年足らずとはいえ前職で毎日CAD を触っていた私としてはそのやり方に違和感があり、将来性もないとうことで、CAD/CAM を導入してもらうなどシステムを大きく更新しました。

編集部

経営に対してはどんな印象を持っておられましたか。

塚田

最初は目前の仕事で手いっぱいで何も見えていませんでした。何年かして少しまわりが見えてくると厳しい状況を理解するようになりました。本当に儲かってなかったからです。価格競争に巻き込まれて工賃が安すぎることが原因です。父親は「なんでこんなに一生懸命やっていて、お金がないわけない」と言っていつも怒っていましたが、事実なかったのです。
200t サーボプレス。CFRP やSiC を抜く際など、様々なモーションを試している

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